海洋建築工学は、建築学の中の新しい学問領域であると同時に海洋工学の中の1つの分野です。本書では海洋建築工学における水波について、数学モデルで表し、解析することで水波という物理現象を明らかにしています。
2006年に発刊された「海と海洋建築」は、海洋建築の入門書として海洋建築を志す学生諸君はもとより多くの一般の方々に購読され高評価を得てきました。しかし初版から15年余りが経過し、海洋建築を取り巻く状況は当時と大きく変化しています。たとえば、海外では水辺の建築を専門にしている建築家が登場し、多くの浮体式建築物が建設されています。このような変化に鑑み、「海と海洋建築」のコンセプトを継承しつつ、読者がこれからの海洋建築の在り様を考究する際の道標となるように、改訂版として「海洋建築序説」を出版しました。
本書は、海洋建築の全体像を大きく5つに分けて解説しています。はじめに「海と建築のかかわり」を第1章と第2章で述べ、「海の環境」を第3章から第5章で解説しています。つづいて「海洋建築の定義や特徴」を第6章から第9章で示し、「海洋建築を支える技術」を第10章と第11章で解説しています。最後に「海洋建築の歴史とレガシー」を第12章と第13章で述べています。この構成は、読者が海洋建築の本質を理解しやすいということに主眼をおいて決めました。
この全体の流れに沿って各章は執筆されていますが、執筆担当者の思いがその内容に強く反映されているので、各章の独立性が高くなっていることも本書の特徴です。このことから、読み進める順序は読者の興味次第とも言えます。最初に海洋建築の歴史とレガシーから読むのも良いでしょうし、海の環境を知ってから海と建築のかかわりを読むのも良いでしょう。本書が海洋建築工学を学修する学生諸君や、海の建築を志す建築技術者の方々の入門書として役立つことを期待しています。
関西国際空港を利用する飛行機の離着陸前、外を見下ろすと海に浮かぶ空港が見えます。海に空港を作れば騒音が居住地域に影響する懸念も少ないでしょうし、およそ50㎞の距離がありますが、市街地へのアクセスも充実しています。海上空港の有利な点は他にも色々ありそうです。関西国際空港は海に作った人工島の上にある空港ですが、将来的には海に浮かんだ「浮体式空港」の構想もあるとのことです。
考えてみると、海の上に建っている建築物や構造物は、空港の他にも結構ありますね。私(担当M)は映画が好きなので、日本のパニック映画のロケ地になりがちな「海ほたる」や、洋画の舞台によく選ばれる海上石油プラットホームを思い浮かべます。日本古来の建築に目を移せば、世界遺産である厳島神社の社殿や大鳥居も、波にさらされながら修復を繰り返し、長年参拝者を迎えています。こうした「海に建つ」構造物は、どのような技術で作られているのでしょう?
建築学の分野のひとつに、「海洋建築」があります。波や風、塩などの海洋特有の環境における建築を取り扱うものです。陸地が限られている中、海洋空間や資源の利用は、地球的規模の研究テーマなのです。海上に人間活動の空間をどのように作り出すか、そのための技術はどういったものか、今回ご紹介する『海洋建築序説』は、これから海洋建築について学ぼうとする人向けにやさしく解説しています。
この記事の著者
スタッフM:読書が好きなことはもちろん、読んだ本を要約することも趣味の一つ。趣味が講じて、コラムの担当に。
『海洋建築序説』はこんな方におすすめ!
- 海洋建築家を志す方
- 海洋建築現場に関わる新人の方
- 海洋建築を学ぶ学生
『海洋建築序説』から抜粋して3つご紹介
『海洋建築序説』から抜粋していくつかご紹介します。主に海洋建築を志す学生向けに、海洋建築についてやさしく解説します。海と建築の関わりから、厳しい海の環境特性、そうした環境に耐える海洋建築の定義とそれを支える技術について解説を行います。終盤では、現在の海洋建築を作り上げてきた遺産として、海洋建築の歴史と建築家による海洋建築論の紹介も行っています。
潮風と塩害
(1)塩害の要因
塩風は、海水の飛沫や、飛沫が破裂して残された海塩粒子が混合した風です。塩風により運ばれる塩分量は海岸線からの距離と共に減少しますが、波高が高いほど多くなります。塩風中の塩分量は、海岸の地形や海岸保全施設の種類によっても異なります。構造物や生活に及ぼす害を塩害といい、影響の大きい範囲は、海岸線から100~200mです。
(2)塩害の事例
建築物に対する塩害には、屋外の手すりや階段の発錆、鉄筋コンクリート中の鉄筋の錆、家電の屋外機器の発錆などがあります。鋼材は水と酸素があると腐食してしまいます。コンクリートは強アルカリ性であり、鉄筋の表面には不導体被膜といわれる防護膜が形成されているので、すぐには腐食することはありません。しかし海水や海塩粒子がひび割れなどから侵入すると、塩化物イオンが不導体被膜を破壊するので、直ちに錆が発生します。鋼材や鉄筋の錆は、鋼材から鉄イオンを分離させて形成される物質なので、鋼材の断面積が減少してしまいます。設計した構造耐力が減少するので、安全性に問題が生じます。こうした錆は降雨によって建築物の表面に流れ出て、汚損の要因にもなります。
また生活に対する塩害には、塩分が送電線の接合箇所に付着することで生じる停電があります。洗濯物や、内装材や室内物品などに海塩が付着してしまう被害もあります。
(3)建築の塩害対策
建築物の発錆防止対策は防食といわれ、鋼構造物の防食方法には、被覆防食、電気防食、耐腐食材料の使用があります。被覆防食は、鋼材の表面を被覆して、海塩が作用しないような状況を造る防食方法です。有機材料としてはエポキシ樹脂やポリエチレン樹脂など、無機材料には耐海水性ステンレス鋼やチタンなどの金属、モルタルやコンクリートなどの非金属が用いられます。
電気防食は、鉄筋コンクリート構造や海水中の鋼材料に用いられる防食方法であり、鋼材料に電流を通して腐食しない電位まで変化させる方法です。通電する方法には、流電陽極法と外部電源法があります。
鋼材の耐食性材料には、耐候性鋼と耐海水性鋼があります。耐候性鋼は、表面の被覆なしで長期間使用できる鋼材でし。ただし、海洋環境で耐候性鋼材を塗装や被覆をせずに用いる場合には、飛来塩分量に基づく適用範囲に留意する必要があります。耐海水性鋼は、海洋環境下における耐食性の高い鋼材であり、腐食速度は普通鋼の1/2です。しかし、これらの鋼材料は耐食性には優れているものの、塩害の厳しい海洋環境下では、積極的な防食方法との併用が必要と考えられています。
海の特徴といえば波か塩を思い浮かべる人が多いかと思いますが、現代の建築物にとって塩はかなり厄介な相手です。鋼材もコンクリートも塩に弱いため、事前の対策が欠かせないのです。あとでご紹介する項目にも少し重なる部分がありますので、そちらもご参照ください。
「住む」ための海洋建築の利用
欧米諸国や東南アジアの各国では、古くから環境条件等に対応した水上生活の文化があり、水上住居群が形成されてきました。また日本でも、九州地方の島々や瀬戸内海に水上生活の文化がありました。戦後の混乱期には、都市河川に水上まで張り出した不法建築物が作られ、船で暮らす水上生活者も溢れていました。しかし戦後復興や経済成長によって、都市部における水上生活はほとんど消えてしまいました。
欧米諸国では現在でも、都市部近郊を中心に水上生活が今日まで継承されています。アメリカでは、サンフランシスコやシアトル等の西海岸を中心に水上住居群が多数形成されていますし、オランダ・アムステルダムの運河沿いに係留された水上住居群は象徴的な景観資源として認識されています。
アメリカ最大規模の水上住居群を形成している都市として、オレゴン州ポートランドを取り上げます。同州には水上コミュニティが41ヶ所存在し、各コミュニティには平均約30~40軒の水上住居が係留され、その総数は約1,500軒にも及びます。
これらの住民の多くはプレジャーボートを所有しているので、水上住居の建築形態は、大きく2つに分かれます。①フローティングホーム(住居機能単体)と、②コンボ(住居内部に船舶の保管場所を併設)です。他にボート保管用の船小屋「ボートハウス」も数多く作られています。
ここで水上住居を建設・設置する場合には、水上コミュニティが管理する桟橋に水上住居を係留する必要がありますが、係留水面を賃貸するか購入するかのどちらかを選べます。賃貸か購入かでそれぞれ課税方式が違うのです。
都市近郊部における水上生活は近年、自然環境との共存を意図したライフスタイルとしても注目されてきています。オランダ・アムステルダムの河川上に新たなに開発されたアイブルフ地区では、埋め立てによる住宅地整備が行われています。陸域の住宅地開発に加えて、貯水池機能のある水面を造成し、その水面上に水上住居用の分譲・賃貸エリアが開発されています。また、デンマーク・コペンハーゲンでは、市街地中心部の住宅不足への対応策として、輸送用コンテナを活用した浮体式の学生寮が建設され、都市問題の解決の糸口として海洋建築の導入による水面活用が注目されています。
日本の例をひとつご紹介します。京都府与謝郡伊根町は「舟屋」という伝統的建造物で有名です。海にせり出して建てられた家の海に面した1階が船揚場や作業場、二階が住まいになっているものです。波の影響が心配になりますが、伊根湾は高潮や風の影響が少ないので、このような建築が可能だったということです。今では民宿になっているところも多いので、観光に訪れてみるのもいいですね。
環境要因に対する緩和対策
海洋建築の設計にあたっては、様々な海の環境要因に対して緩和もしくは積極的な利用が求められます。
(1)流体力学的要因に対する緩和対策
海洋建築物を設計する場合、流れや波の流体力学的要因に対する考慮が必要です。動的な圧力を緩和するためには、波・流れが作用する構造物の表面積を小さくし、断面の形状を工夫することにより流体力を低減させることが基本です。
なるべく断面積を小さくし、 波向・流向に対して流線形で抗力係数の小さい形状とすることで、波や流れによる荷重を小さくすることができます。
浮体式の構造物における動揺の緩和方策として最も単純な方法は、建築物の規模を大きくすることです。しかし現実的には、規模を大きくする以外の動揺の緩和策も必要です。
回転方向の動揺の抑制方策としては、ビルジキールやフィンスタビライザー、アンチローリングタンク等が挙げられます。これらは船舶にも用いられている技術です。
直接的に波や流れの影響を緩和する方法としては、防波堤や内水面の構築が挙げられます。防波堤は、受圧面積を大きくしなければなりません。海底の基礎であるマウンドとの摩擦により、波浪外力に耐える構造になっています。海面を取り囲むように構造物を配置して内水面を構築することで、外からの波・流れの影響を完全に防ぐことも可能です。
(2)静水圧・動水圧に対する緩和対策
静水圧、動水圧を直接的に緩和することは不可能です。しかし流体から受ける荷重を減らす工夫や、鉛直動揺量の低減といった対策が可能です。
セミサブ型の浮体は、ラーメン構造もしくはトラス構造の構造物が海面からある程度の深さまで沈み込んでいる構造です。ラーメン構造もしくはトラス構造は、動水圧を原因とする流体荷重を低減させる効果があります。同様にジャケット式構造物も、同規模の重力式構造物に比べて水平方向の流体荷重を小さくすることができます。また波浪等による一時的な水面上昇に対し、浮力の増大を相対的に小さくすることができます。セミサブ型浮体やスパー型浮体などは、一時的な静水圧の変化に対して浮力の増大を抑制することで、動揺量を減らすことができる仕組みとなっています。
(3) 浮力に対する緩和対策
流体中の全ての構造物は浮力の影響を受けます。浮体式構造物の場合、基本的に浮力の緩和は、鉛直動揺量を減らす目的を除いて必要ありません。
しかし通常時に陸上に存在する建築物にとっては、浮力は重大な影響をもたらすことがあります。津波や高波の場合です。津波や高波による建築物の倒壊や流出のきっかけとなる外力は浮力なのです。陸上の建築物においても浮力の影響を考慮し、浮上の危険性がある場合は、構造物の倒壊を防ぐ対策が求められています。津波避難タワー等は、津波による受圧面積を小さくし、浮力による浮き上がりを防止する目的から、断面積の小さな構造物が採用されています。
しかし断面積の小さな建築物は、漂流物の衝突力を小さくすることが難しくなります。衝突力を低減するためには、建築物周囲に防衝工を設置したり、漂流物をトラップする漂流防止柵を設置したりすることで、建築物本体への被害を小さくできます。
(4)海水の化学的作用に対する緩和対策
海洋建築物に用いられる材料には、防食性が求められます。鋼材で制作された構造物は海水により容易に腐食するので、被覆防食もしくは電気防食が必須となります。
陸上建築物でよく用いられる鉄筋コンクリートでは、海水中に含まれるイオン化合物によるコンクリート自体の劣化と、コンクリート中の鉄筋の腐食のどちらにも対応する必要があります。一般的な鉄筋コンクリートの塩分に対する防錆対策としては、砂、砂利に対する除塩とアルミン酸カルシウム含有量の少ないセメントの利用、鉄筋の被覆による耐塩化が施されます。
空調室外機やボイラー等の建築設備にも、耐重塩害仕様の導入が求められます。空港の滑走路の桟橋等、供用期間が長く特に重要な構造物には、材料の面からみても特別な防錆対策が施される場合があります。
普段海水に触れていない建築物においても、設備の化学的緩和対策が必要になる場合があります。例えば津波が陸域に遡上した場合、低層階にある発電設備や電気設備が破壊されるので、そのような危険がある地域では、電気設備や非常用発電機の高層階への設置などの対策が必要になります。
(5)海洋生物に対する緩和対策
海洋生物が船舶に付着すると、抵抗増大による燃料効率の低下が発生し、場合によっては浮体のバランスが崩れてしまいます。そのため船舶分野では、古くから船艇用防汚塗料が使用されてきました。
浮体式構造物の場合、定期検査・中間検査のためのドック入りの際、清掃と防汚塗料の再塗装がされています。発電所や製鉄所、石油コンビナートにおいては冷却水の取水導水管に生物付着が発生すると、取水量の低下、熱効率の低下等を引き起こします。取水導水口管に防汚塗料を塗布する対策に加えて、過酸化水素や塩素による処理や、銅イオン発生装置による配管内の被膜形成が併用されています。
鋼管桟橋構造物への生物付着によって鋼管肉厚の検査が難しくなり、構造物のメンテナンスに支障をきたす例も報告されています。現在では、生物が付着した状態でも肉厚測定が可能な非接触型測定器の研究開発や、海中ロボットによる付着生物の除去も研究開発されています。
福島第一原発の事故では、津波によって非常用電源が浸水し故障したために、電源喪失が起こりました。沿岸部の建築物においても、海水や波といった海特有の環境要因に対する対策を怠ってはならないのです。
『海洋建築序説』内容紹介まとめ
水、波、風という海洋独特の環境のもとに作られる海洋建築。現在は多くの浮体式建築物が登場し、海洋建築を専門に手掛ける建築家も登場しています。海洋建築の入門書として、前半では海と建築の関係、海の空間利用、海と陸との関係等を考察します。後半では海洋建築論に踏み込み、海の環境と脅威、海洋空間利用の現状と海洋建築の特徴と利用状況、技術について解説。終盤では海洋建築の歴史を紹介します。
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海に挑む・海に住む おすすめ2選
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『水波工学の基礎』
海洋建築分野の水波工学に特化した入門書です。前半では微小振幅波の特徴を中心に、海洋の不規則波などの物理学的取り扱いについて解説します。後半では、水波理論の高額的基礎について、津波などを取り上げながら解説します。物理現象を数式モデルで解説し、式の展開も詳しく示されています。建築学においては新しい学問領域である水波工学を、根本から理解しましょう。
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『沿岸域の安全・快適な居住環境』
海洋国日本の人口の過半数は、沿岸域に暮らしています。沿岸域にはどのような特徴があり、人間との関わりはどうだったのか?また、沿岸域の建築物の定義は?塩分、湿気、日写、熱、紫外線等の影響とその評価、災害への対策等、沿岸建築物に求められる要素について解説します。厳しい環境に耐え、特質を十分に活かした安全快適な沿岸建築の在り方を探ります。