コラム

2010年9月16日  
業界人

海上保安庁 第二管区海上保安本部 次長 大久保安広様

海上保安庁 第二管区海上保安本部 次長 大久保安広様
救難現場へのサポートやさまざまな調整を行う第二管区海上保安本部次長。映画「海猿3」では時任三郎が好演している。現次長の目を通して海難救助の本質を聞いた。

第二管区海上保安本部のお仕事とは?

 第二管区海上保安本部は、海難救助全般に関する事務を行います。たとえば、海難救助活動の際にさまざまな調整や支援を行います。
 海難救助は海上保安庁だけですべてできるものではありませんので、一般の船舶などの協力を得たり、諸外国との連携した活動も必要です。また、潜水士、機動救難士、特殊救難隊の養成計画も立てます。大きく言うと「人を救助するためのシステム」づくりですね。
 職員の能力向上、装備の充実、システムの構築、その結果として、人助け・海難救助の成果をあげることが仕事です。

海難救助の現場に行かれることは?

私自身が現場に行くことは、まず、ありません。本庁で現場の活動の調整や支援等を行います。

具体的な仕事のエピソードを教えてください

たとえば、最近の例ですと、八丈島沖で転覆した漁船から約90時間ぶりに3名の方が救助された海難がありました。あの時は複数の管区本部や防衛省の航空機等も捜索・救助に当たっています。そういった関係機関との調整を行ったり、捜索方法の調整等を行いました。なかなかひとことでは表せませんが…。全員の方を救助できなかったのが残念ですが…。

訓練の計画なども第二管区海上保安本部で行うのですね?

救難訓練の大枠のところはこちらで決めて、あとは管区本部、海上保安部等で具体的な計画を立てて行っています。たとえば、「潜水士と特殊救難隊の訓練を横浜で実施する。」というような計画を立てたりします。

多くの場所でお仕事をされていますが、勤務期間が長かったのはどちらでしょうか?

最初の特殊救難隊で、6年でした。後はだいたい1~3年というところですね。

一番、思い出に残っている場所はありますか?

場所というよりも、様々な仕事をさせていただいたという思いがあります。特殊救難隊での経験から、外国での仕事、本庁での仕事、大学という教育機関での仕事など、それぞれの楽しみというか、やりがいがありました。

それぞれ違うお仕事だと思いますが、変わったときはすぐに対応できるものなのでしょうか? 関連性がみんなあるものなのでしょうか?

海上保安庁の仕事というのは様々な分野に広がっています。海上勤務と陸上勤務では仕事内容も違います。陸上勤務でもたとえば救難の仕事ですとか、警備の仕事とか、総務の仕事とか、あるいは経理の仕事とか…様々な仕事があります。
最初はやはり初めての勤務ですので少し悩むことはあります。考え方はいろいろあるんでしょうが、私は、仕事を自分の目先の細かいテクニック的なことでとらえるとずっと悩んでしまうので、「自分たちは何のために仕事をするんだ」ということを常に自分自身に問いかけていくことが大事だと思っています。要は、自分のためでもない、組織のために仕事をしているわけでもない、「私たちに助けを求める人々のために、仕事をしているんだ」というマインドです。「そういった人々に応えたい」という気持ちがどの仕事にも共通してあると考えています。これは、他の仕事においても一緒だとは思いますが。

やはり、どの仕事に就いたとしても、そういった思いをベースに、仕事をなさっているのですね

そうですね。ただ、仕事をやる方法は海上、陸上では違いますけどね。救難の仕事で言えば、「助ける」ために、それぞれの大事な役割を各人が担っているということですね。大学という教育機関においても、世の中の期待に応えられる人材を育て、彼らに必要な能力をつけさせるためにこの仕事をしているという思いがありました。その場その場のポストが、人々のためになる重要な役割であると思い仕事に臨んでいます。

海上保安官を目指したきっかけを教えてください

実は私の亡くなった父が、海上保安官だったんですね。私が小学校1年生の時に亡くなっているんですけれども、小さいときに巡視船に乗せてもらった思い出があります。また、実家が海辺で、夜は波の音が聞こえるぐらいの場所でした。その関係で海上保安庁を目指しました。父親が早く亡くなったという経済的な事情もありまして…学費がかからない、というね。(笑)

巡視船に乗ったのは何歳くらいのときですか?

小さい頃ですから…、3、4歳くらいですね。海上保安官の方に抱きかかえられて乗せてもらった思い出があります。

いままでに、お仕事はいろいろされてきていると思いますが、一番印象に残っているお仕事はありますか?

特殊救難隊ですね。様々な事案を経験しましたが、ひとつひとつの事案というよりも、特殊救難隊での経験全般が自分自身を成長させてくれたものと思っています。特殊救難隊に入って、そこでやはり先ほど話したことにつながるんですけれども、助けを求める人を助けられたとか、気象条件が厳しくて十分な捜索さえできなかったとか、そういったことを経験しました。現場での喜びや悲しみを、若い頃に直接体験できたことが大きな印象として残っています。
ひとつひとつの海難救助作業や訓練を挙げればきつかった事や大変だった事はありますが、それよりも、私たちの救助作業に期待している方々を思うと、自分自身の力を上げていかなければと思い訓練に臨んでいたことが今、思い出されます。
インドネシアやフィリピンに技術指導に行った際にも、救助に携わる人の思いは同じだなぁと思いました。その国の人がこの訓練にどの程度興味をもってやってくれるのだろう?と当初は不安に思っていたのですが、予想外に相当な数のスタッフが参加を希望してくれて、訓練生を選ぶのに選抜試験をやらざるを得なかったことがあります。訓練生に希望した理由を聞いたところ、「ここでも海難で多くの人が亡くなっている。自分の身内も亡くなっているので、自分で何とかしたいので訓練を受けたい」と言っていました。人を思う気持ちはどこでも皆同じであると感じたところでした。
やはり自分に力があれば助けられるし、力がないと助けられないわけですから。そういったことを若いときに経験をした、というのは私にとって大きな印象といいますか、転機でございます。海上保安官は皆、救難分野以外の仕事でも熱いハートを持って仕事をしていると思います。私の場合、救難の分野で今話したような経験をした、それが私の原点だと思っています。

そういった仕事をやられる上で、重要なことはどんなことなのでしょうか?

いま第二管区海上保安本部次長ですから、救難のことでいうと、人を助けることですね。やはり、何回もくり返すようですが、基本的な考え方として、私たちに助けを求めている、私たちの力を必要としている、その人々のために私たちが何をするか、何ができるのか。そういったことを考えています。
ものごとを考えるときに悩みだすと目先のテクニック的なことになってしまうんですけれども、原点に戻って、「私たちに助けを求めている人々がいるんだ、自分の汗の量の分だけ人々が助かるんだ」という思いが大事かと思います。
海上保安庁の制帽には、梅の花がデザインされているんですね。その趣旨というのが、これは初代長官の思いなのですが、「梅の花というのは、まだ春が来る前の寒風が吹きすさぶ中、花を咲かせ、清香を放ち、人々の心を温め、花は散っても実を残し人々の役に立つ」と。
初代の長官がそういった思いをこめてあのマークにされた、ということを聞いています。
やはり、人の役に立つ、というのが海上保安庁の原点だと思います。初代長官の思いを原点として、今の海上保安庁があると思っております。私も常々、仕事でバテてもそういうことを考えるようにしています。

現在のお仕事で、ご苦労されていることはありますか?

毎日苦労の連続ですね(笑)。海難救助に関して言えば、非常に厳しい環境の中で、結果をださなければならないわけです。
陸上では、足元が揺れるということはまず無いですが、船の上はいつも揺れています。ということは、救助活動中いつ事故が起きても不思議ではないし、このような厳しい環境下で現場の海上保安官は作業しています。彼らの作業の苦労は並大抵のことではないかと思います。
また海上は現場が移動してしまうということがありますね。陸上では、たとえば建物火災が起こったら、その建物自体が移動することはありませんが、海上では潮に流されて対象の人や物が移動するので、それを探すことから始まります。陸上と違い、海上では現場を探すことから始めなければならないので、救助も簡単ではありません。
このような状況の中で、現場職員に二次災害もなく、結果を出していくためのシステムづくりに日々苦労しています。
厳しい環境の中でも救助できるように、自分たちの能力を上げ、また、変化する現場に対応するために海上保安庁以外の方々の協力を得ながら救難作業を行っています。
理想としては、事故が起こったら必ず助ける、ということを常に目指しております。
若い特殊救難隊の頃には、ちょっとキザっぽいかも知れませんが、「悲しみの涙を感動の涙にしよう」という思いを持ってやっていました。

現在のお仕事で、やりがいを感じるのはどういったときですか?

救助が成功した時とか、救難のためのシステムづくりが前進できたときなどですね。海上保安庁、その他の協力により救難が成功し、人の命が守られ、ご家族と再会するニュースを見た時などは、これ以上の喜びはない、と感じますね。

海上保安官を目指す人に向けて、メッセージをお願いします

海上保安官は海上、陸上勤務もあり、いろいろな仕事を通して社会に貢献できる、非常にやりがいのある仕事です。
海上保安庁を目指している方々には、仲間やまわりの人々を大事にする心を持ってほしいですね。また、厳しい環境の中で仕事ができる身体能力、精神を養ってほしいですね。難題を解決する知恵も同時に身につけなければなりません。勉強し、運動し、家の手伝いもし、まわりの人々と大いに話をしながら海上保安官を目指してほしいですね。私自身も、まだまだ多くを学んでいかなければなりませんが。

最後に、今後の抱負をお願いします

ひとりでも多くの命を救い、社会に貢献したいですね。また、悲しみの涙を少しでも喜びの涙に変えるために、やれることをやっていこうと思っていますね。
聞き手 
株式会社 成山堂書店
代表取締役社長 小川典子
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