著者名: | 上田(あげた) 豊 著 |
ISBN: | 978-4-425-57021-8 |
発行年月日: | 2011/12/13 |
サイズ/頁数: | 四六判 252頁 |
在庫状況: | 在庫僅少 |
価格 | ¥2,420円(税込) |
最低気温・氷点下60℃の雪中基地「みずほ」での冬ごもり、未踏のドーム頂上の発見、4000キロの探査行。知られざる南極大陸最前線のドラマを克明に描き、極地ならではのロマンをさわやかに伝える。
1984年11月から1986年3月まで、第26次南極観測越冬隊に参加した著者の、13ヵ月にわたる南極滞在中の詳細な活動記録。一か所に留まるのではなく、内陸の前進拠点を作りながら「みずほ基地」で5名だけの5ヵ月の越冬をし、これまで未踏だった南極で2番目に高いドームを探し出した後、新たなルートで帰還するまでを紹介。
【著者からのことば】
わたしは学生の頃、ヒマラヤの未踏峰と南極の未踏地にあこがれていた。幸いにもヒマラヤは学部生、南極は大学院生の時に早々と実現した。ヒマラヤ遠征の体験は、梅棹忠夫先生の指導を得て学生隊員4人の共著として出版できた。のち大学院生のときにもヒマラヤで初登頂し、前回書いた経験を生かして、わたし個人の記録を出すことができた。登頂の6年後のことだった。
40歳を過ぎて再び南極越冬の機会を得たわたしは、ヒマラヤでしたように、越冬の体験をも本にまとめたかった。それは学生時代の夢をかなえた次にくる願望になっていた。しかし短期に凝縮したヒマラヤ登山にくらべ、長期の単調な生活を描くのは難しい。この越冬に、記録として世にだす意味があるのかも、見通しは立たなかった。
徒労に終わろうとも、とにかく晴海出港の日から日記を克明に残すように努めた。当初にはなかった魅力ある計画も、出港後に加わっていった。そうして、13ヵ月を越えた内陸雪原での行動は、充実感とともに終わった。だが執筆する時間を得たのは、帰国して20余年を経た定年退職の後だった。その間、書く意志を保ち続けられたのは、それだけ大切な記録だったからだ。ようやく刊行できたが、読者はこの本に、何を見つけてくれるだろうか。
【推薦者からのことば】
「はじめての南極らしい低温の中での越冬記録」
九州大学名誉教授 第1次・3次南極越冬隊
北村泰一
昭和基地は、オングル島という標高の低い島にあるが、その対岸から大陸に登ると、その奥に向ってゆるい傾斜が続く。1000kmほど奥へゆくと、高度は約4000mの高さになり、傾斜の殆どない平らな高原に達する。そこに日本の基地がある。ド−ムふじ基地という。
ド−ムふじ掘削計画とは、そのド−ムふじ基地から、真下の岩盤めがけて3000mを越す氷柱を掘削し、過去何十万年の昔からの地球の大気温度を復元しようとする壮大な計画である。これは、南極大陸の氷の中には、その氷がつくられた過去の気温の情報が含まれていることを利用してその過去の気温を知ろうとする研究である。
この大計画を実施しはじめようとした時、すぐに大きな問題につきあたった。掘削する大陸氷が何十万年と動いていないであろう場所(ド−ム)を選ぶ必要があるが、そこがどこなのか具体的にわからない。また、掘削作業は酷寒の中でおこなわれるが、そんな経験は昭和基地のような、大地の上に建設された、それに暖かい基地では得られない。だから、大陸深部に新基地を創り、そこで越冬する必要がある。まず内陸基地の“みずほ基地”が創られた。そこは昭和基地から300km、高さ2200mのところ、ド−ムふじ高原へのゆるい傾斜面の真っ只中である。そこでの越冬記録の価値は今でも変わっていない。むしろ、南極大陸上での日本の初めての越冬記録といえる。昭和基地では夏と冬の平均気温は、それぞれ(−3C、−20℃)くらいだのに、みずほ基地ではそれぞれ(−20℃、−40℃)にも達した。最低は−60℃を記録した。
上田氏は、そこから雪上車で、“ド−ム”の探索”に出た。高原への傾斜面を登りつめ、辛苦のうちに高原の最高地域をみつけ、掘削地点の発見というおおきな課題を解決した。
本著の著者上田 豊氏のこの越冬記録は、日本南極観測隊のはじめての南極らしい低温の中での越冬記録だといえる。 南極に興味のある人も、興味のない人も読んでみるとよい。きっと興味をそそられると思う。
「私たちが学ぶべき宝がぎっしり」
朝日新聞記者 第45次・51次南極越冬隊
中山由美
読み終えた今、得した気分に浸っている。
45次観測隊で私は昭和で越冬し、みずほを通りドームふじへ遠征。51次隊ではあすかを経てセールロンダーネ山地で隕石を探した。今なおそこは孤立無援の厳しい世界だ。でも私たちにはGPSも衛星電話も、先陣たちが残した「道」もあった。本をめくれば、あの白い世界を切り開く四半世紀前が鮮やか によみがえる。その最初の軌跡が刻まれた当時を知るわくわく感と驚きが重なる。後輩たちにつなぐ道と貴重な記録を残されたことを感謝したい。以前見せていただいた上田先生の野帳は時間や場所、活動……克明な記録がびっしりだった。時を経ても褪せることなく正確に再現されたのはうなずける。そこに私たちが学ぶべき宝もびっしりだ。
「前著・ヒマラヤ初登頂記に続く高い評価を期待する」
名古屋大学名誉教授 樋口敬二
上田豊君は、共通の山の先輩である梅棹忠夫さんの紹介で、私の研究室の大学院生となって以来、40年以上の付き合いだが、本書には当時の院生仲間の奥平文雄、藤井理行、吉田 稔の諸君が登場して協力し合うのが嬉しい。この間、上田君は南極と共に、ブータン、ネパール、天山、西崑崙、東チベットなどアジア高山地域における氷河の調査観測で研究成果を挙げたが、一方、本書のみずほ基地での回想にあるように、1973年にヒマラヤのヤルン・カンの初登頂に成功し、日本人による初登頂の最高記録保持者となった。その記録「残照のヤルン・カン」(中公新書、1979、中公文庫、1991)は刊行当時、名古屋大学では学生が最も感銘を受けた本のアンケートで第一位に挙げた名著であり、本書がそれに続く高い評価を受けることと期待している。
【目次】
16年ぶりの南極へ
晴海立ち/赤道を越えて/氷海へ
夏 あすか新拠点
上陸・白夜・重労働
セールロンダーネの山なみ
年明けの新たな提案
古巣でのつらい一夜
秋 前進拠点の建設へ
25次内陸隊の仲間たち
出発準備の日々
内陸雪原へ
前進拠点へ向かって
サスツルギの海
前進拠点の建設
みずほ基地への早期帰還
冬 地吹雪のみずほ基地にて
薄氷を踏む人員交代
「みずほ」への帰途
雪中生活
雪中の風呂と洗濯
越冬観測
危険へのそなえ
極夜にむけて
太陽の沈んだ日々
ミッド・ウインターを過ぎて
マイナス60℃の風
太陽が戻った日々
冬ごもり最後の苦行
内陸調査に向けて
春 前進拠点で氷床を掘る
残せ足跡!!未踏の地
秋のトレースをたどって
耐える雪上車
掘削小屋を建てて
昼夜兼行の200
メートル掘削
にがいゴール
夏 ドームの頂上を探して
いい日・旅立ち
真南への初トレース
エンジン故障
頂上探し
白い海原
未知の3800メートル越え
頂稜を行く
分氷界の向こう
ドーム・キャンプでの失敗
白い沙漠の科学
北へと戻る新ルート
拠点に浮かぶ赤風船
あすか基地へルートを開く
大雪原の創作風呂
最終の旅へ
10ヵ月ぶりの岩景色
ベルテルカカに登ろう
山岳裸氷帯を抜けるルート
バード氷河横断に向けて
無人のあすか基地へ
ブラットニーパネ登頂
【極地研ライブラリーについて】
「極地研」は、「国立極地研究所」の略称で、極地に関する科学の総合研究と極地観測の推進を目的に1973年に設置されて以来、大学共同利用機関として、また南極観測事業の中核的実施機関としての役割を担ってきました。
「極地研ライブラリー」は、理解が進んだ極地の自然について、その観測や研究の成果を、第一線の研究者が科学的に分かりやすく解説するとともに、極地での調査や活動、さらにはその歴史を紹介するシリーズです。
書籍「未踏の南極ドームを探る−内陸雪原の13カ月− 極地研ライブラリー」を購入する
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