進化する東京駅−街づくりからエキナカ開発まで− 交通ブックス120


978-4-425-76191-3
著者名:野崎哲夫 著
ISBN:978-4-425-76191-3
発行年月日:2012/9/20
サイズ/頁数:四六判 228頁
在庫状況:在庫有り
価格¥1,760円(税込)
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東京駅の開業からの歴史に加えて、JR東日本誕生後に本格化したエキナカ開発と、これらと連係した周辺地区開発を総合的に紹介。単に駅・駅内施設の改良の歴史ではなく、いわば一つの都市(=駅都市:ステーションシティ)を形づくるべく進化・発展を図る東京駅の姿を描く。



【はじめに】より

国鉄の民営分割で生まれたJR東日本は2002(平成14)年頃からお客さまが「通過する」駅から「集う」駅へ,をコンセプトとした「ステーションルネサンス」に取り組み(2月,アトレ上の開業)「エキュート」「ディラ」といった名称に代表される「エキナカ」ビジネスが本格的に開花し始めます。私が2005(平成17)年に東京駅のディベロッパー「鉄道会館」の社長に就任した頃から新しい商業施設,「グランスタ」の開発をJR東日本と当社でチームを作って検討を開始しました。
駅構内において個々の店がバラバラのコンセプトで開発・営業されるのではなく,開発・運営会社が対象ゾーン全体のコンセプト,業態,具体的ショップの選定,さらにはサービス基準,スタッフ研修までを責任を持ってまとめあげるという編集型エキナカ商業施設は東京駅においては新たな試みでした。
グランスタ開発では「エキナカ」だけでなく周囲の街を含む「エキソト」との連携の強化や日本の中央駅のエキナカからの情報発信を考えました。今後の人口減少時代,低成長時代の継続が予想されるなか,東京駅の発展はますます鉄道単独でなく,鉄道とエキナカ,周辺の街を含むエキソトとの融合,一体的開発・運営を目指すことで可能となるでしょう。「東京駅が街をつくり,街が東京駅をつくる(東京ステーションシティ開発)」という壮大なプロジェクトの架け橋の一助になれたのではないかと考えています。周辺の街の発展も東京駅の進化なしには考えられないと思いますし、東京駅の持つ強力な情報発信力が地方の発展にも役立つと期待しています。
また,私たちの進めた東京駅のエキナカ開発が「街が育てた駅の歴史」,「駅が育てた街の歴史」のなかにビルドインされていることも知っていただきたいと考えました。
そうした考えから,本書では東京駅の建造以前に始まっていた周辺の街づくり,日本の中央駅としての誕生から進化の過程,それらの当面の集大成としての「東京駅が街になる?東京ステーションシティ開発?」とそのなかで重要な役割を果たし始めているエキナカ開発について関連づけて述べてみました。
10月に創建時の姿に復元される東京駅の時空を多方面から振り返りつつ,現在とこれからの東京駅とそのエキナカの情報発信力の重要性を認識し,2014年に創建100年を迎える「東京駅」の次の100年の発展につながることを願う次第です。

2012年9月
野崎哲夫

【目次】

はじめに

序章 東京駅の時空へ

第1章 東京駅の新しい街、エキナカ「グランスタ」誕生
 1 新しい戦略-物語シナリオ-
 2 「デザイン思考論」を先取りしたグランスタ開発
 3 エキナカビジネスの時間戦略
 4 世界一の駅にふさわしい「エキナカ」空間づくりと立地創造
 5 東京駅の文化力と価値向上
 6 東京駅価値向上の進化形、食の名所「グランスタ・ダイニング」

第2章 エキソト「大手町・丸の内・有楽町地区」
    「八重洲・日本橋地区」からの街づくり
 1 東京駅建設に先行した丸の内開発
 2 大手町・丸の内・有楽町地区まちづくりガイドライン
 3 三菱地所の丸の内再構築の第2ステージ
 4 日本橋再生計画
 5 世界に誇る「品格ある都市」づくりを目指す

第3章 東京駅-日本の鉄道中央駅としての誕生と進化-  1 意外と新し東京駅の誕生
 2 東京駅建設の立役者たち、日本人鉄道技術者とフランツ・バルツァー
 3 丸の内駅舎の復原
 4 東京駅「街」への布石、鉄道インフラ整備

第4章 丸の内、八重洲、日本橋を一体的につなぐ
    駅都市「ステーションシティ」開発
 1 東京駅都市の先駆け、地下ネットワークの構築
 2 JR東日本「東京ステーションシティ(TSC)計画」
 3 「東京ステーションシティ構想」の驚
 4 欧米の鉄道駅にみるエキナカ
 5 東京都の「10年後の東京」構想と「ステーションシティ」計画

第5章 エキナカ「グランスタ」の店舗開発論(MD論)  1 潜在的顧客ニーズの掘り起こし方「SWOT分析」
 2 想定「利用シーン」重視の「こだわりショップ」誘致
 3 東京駅新ブランド、新名物、相次いで誕生
 4 空間演出の目玉、4代目「銀の鈴」とパサージュ
 5 東京駅エキナカ白書
 6 「グランスタ・ダイニング」の店舗開発戦略

終章 東京駅と街の次の100年  1 鉄道と街の架け橋としてのDNA
 2 「街」への架け橋の第1歩、エキナカ直営事業への挑戦
 3 観光都市・東京駅への予感
 4 東京駅「街」への道標「東京24区」構想
 5 東京駅都市の次の100年に向けて

(寄稿)  「JR東日本からみた東京駅の時空と東京ステーションシティ」
     JR東日本常務取締役(当時) 新井良亮

(対談)  「東京駅の未来への想い」
     JR東日本社長(当時)・清野智×鉄道会館社長・野崎哲夫

おわりに

(資料)     1 東京駅の変遷(1914年〜2014年度、平面図・断面図)
    2 年表:東京駅と街の歴史
    3 参考文献



この書籍の解説

列車で遠出をするとき、東京駅が発着地だと「全部ここで済むな」という気持ちになります。お土産には「ここにしかないもの」が満載ですし、出かける前の腹ごしらえにも魅力的なお店ばかり。車内での食べ物や飲み物はもちろん、アナログ派の方には車内で読む本も駅の中で手に入ります。もちろん、傘を忘れた!財布の中身が心もとない、仕事なのになんだか頭が痛いな、というときも、「エキナカ」は頼りになります。
かつてはキオスク等の駅売店が対応していた乗客たちの「乗車以外の」需要を、鉄道会社は見逃さず、駅はターミナルとしてだけではなく、商業施設、ひいては都市の中心施設としての性格すら備えてきました。東京駅は、周辺地域と一体となった駅開発によって、伝統と先進のオフィス街である丸の内と、商業と交通の窓口である八重洲を繋ぐ要として生まれ変わったのです。
今回ご紹介する『進化する東京駅』は、東京駅のこうした発展史を、JR東日本誕生後に本格化したエキナカ開発と、それと連携するかたちで進んだ駅周辺地域の開発について触れながら紹介します。日本の巨大ターミナルが、どのようにして様々な機能を備え、「ステーションシティ」の中心となっていったのか。JR東日本でこれらの開発に関わった著者たちが、当時の記録を振り返りました。
ここで中心的に触れられているのは、2002年~2012年の状況です。本書発行後の様子は、東京駅を訪れれば確かめることができます。時代に合わせて変化・発展し続ける東京駅の姿を、あなたの目で見てみませんか?

この記事の著者

スタッフM:読書が好きなことはもちろん、読んだ本を要約することも趣味の一つ。趣味が講じて、コラムの担当に。

『進化する東京駅−街づくりからエキナカ開発まで−』はこんな方におすすめ!

  • 鉄道ファン
  • エキナカ開発に関わる方
  • 鉄道会社勤務の方

『進化する東京駅−街づくりからエキナカ開発まで−』から抜粋して3つご紹介

『進化する東京駅』から抜粋していくつかご紹介します。大改修でかつての赤煉瓦の荘厳な姿を取り戻し、巨大ターミナルとしての機能だけでなく、商業中心地としての役割も備えた東京駅。分割民営化後のJR東日本が行った東京駅と周辺地域開発のあゆみを、実際に開発に関わった著者が紹介します。

世界一の駅にふさわしい「エキナカ」空間づくりと立地創造

東京駅は日本を代表する駅であり、日本の「移動の中心」で、日本という大空間における特別な位置づけにあります。位置づけと立地を意識し、グランスタの開発は「世界一の駅にふさわしい東京駅エキナカ空間を創造する」ことが目標とされました。

グランスタの空間形成、立地創造については、東京駅の持つ「日常・非日常」の両面を実現することが重要視されました。駅は毎日の通勤通学という「日常的空間」と、旅行や再会の場などという「非日常的空間」の両面を持っています。グランスタのショップや商品、「銀の鈴広場」を含んだ環境空間の組み合わせは、こうした2面を意識して作られています。

都市機能としてのグランスタ空間を見たときに、丸の内側と八重洲側に太い地下のネットワークを構築したことには大きな意義があります。駅の東西で分断されていた周辺の街を強固につなげ、東京駅の街化を進めることに成功したのです。

グランスタの「空間形成」の大きな特徴は、従来型の線路上空に人工地盤を張る開発ではなく、既存の改札内地下通路という既存空間を活用した新しいタイプのエキナカ開発だということです。グランスタとして整備した地下中央通路は、1980年に完成していました。この既存空間をうまく使い、6メートル幅のコンコースを設けて左右に店舗を配置したのです。

メイン流動となるエスカレーターは4か所、8基整備し、グランスタの玄関口としての象徴といえる存在となり、地上1階の混雑緩和にも役立ちました。照明も、省エネを最大限に考慮しつつ、「銀の鈴」との組み合わせによって地下にありながら季節感を感じる空間を演出しています。

グランスタができるまで、八重洲側と丸の内側を行き来するためには、八重洲北口まで歩いて、そこから自由通路をただ突っ切る、というルートを取っていました。しかしグランスタができてからは、一度地下に降りてお店を眺めながら移動し、急いでいなければ寄り道などしたりもします。買い物や飲食に容易にアクセスできるようになり、移動がただの移動ではなくなったのです。駅と商業施設、ひいては駅と街が境目なくつながったという印象を持ちました。

丸の内駅舎の復原

第2次世界大戦末期にアメリカ軍の空爆を受け、東京駅丸の内駅舎のドームは破壊されました。その後2年余りをかけて復旧作業が行われ、1947年3月には修復工事が完成しました。このとき、3階建てだった駅舎は2階建てになり、ドームは角錐の屋根になりました。そのまま60年以上が経過しました。

再建については様々な議論がありましたが、JR民営化後、本格的に保存方法が考えられました。特例容積率適用区域制度を使えば、東京ステーションシティ(TSC)の超高層ビル群や駅前広場などの公的整備計画が実現できるとともに、丸の内駅舎復原工事の財源捻出への道が開けることがわかったのです。

国の重要文化財に指定されている丸の内駅舎が3階建てに復原されれば、容積率が余ります。余った容積率を八重洲側のツインビルや新丸の内ビルなどに移転することで、それらのビルをより高層にたできます。さらに移転した容積率を売却して得られた資金を駅舎復原にあてることもできるようになりました。

復原された丸の内駅舎は3階建てに戻り、外観上は創建当時とまったく同じになります。象徴的な歴史的文化財としての価値を持ちながら、ダイナミックな都市景観を創造することができます。これが丸の内駅舎を復原するときの基本的考え方でした。

再度入居する新生東京ステーションホテルは「伝統が息づくここにしかないOMOTENASHI」をコンセプトとしています。丸の内北ドームには訪日外国人向け利用案内所「JR EAST Travel Service Center」が設置されます。文化施設としては、東京ステーションギャラリーも復活します。夜間にはライトアップも行われます。

工事は、復原部分、保存部分、新設部分と分け、専門家の研究成果を活かして進められました。復原では免震工法が採用されています。その他、丸の内駅舎の復原には最新の技術・設備が導入されています。

復原にあたってのさらにきめ細かな配慮としては、戦災前のドームに用いられていた様々な装飾を、専門家が徹底的に考証してきっちり復原しています。レンガも開業時と同質のものを40万個使用しています。

毎日休まず稼働するインフラ施設としての駅の現代的な機能と文化財保存の性質を併せ持った東京駅は、後世に伝えられる駅となることでしょう。

東京ステーションホテルの、丸の内北口を見下ろす部屋に泊まった人の話を聞いたことがあります。行き来する人々や、駅が寝静まり目覚めていく様子を眺めるのは、とても稀有な経験だったと喜んでいました。
丸の内駅舎のライトアップ、イベントでのプロジェクションマッピングや、雨の日の地面に映り込む駅舎の姿などは、歴史と今とが理想的な形で出会っているからこその美しさですね。

JR東日本の「東京ステーションシティ計画」

2005年1月、JR東日本グループは中期経営構想「ニューフロンティア2008」を策定します。東京駅周辺を最重要エリアとし「東京ステーションシティ」と命名しました。東京駅を1つの大きな街ととらえ、文化の発信地となるよう願いを込めたものです。

東京駅周辺は、丸の内側のオフィスゾーンと、商業ゾーンの八重洲側という分け方をされます。東京駅は、両ゾーンを結ぶ役割を果たすとともに新たな文化の発信拠点を目指すべきだという考えが生まれました。

東京ステーションシティ構想の発端は、1977年3月に美濃部東京都知事と高木国鉄総裁との会談で発表された「東京駅と丸の内エリアの再開発構想」が契機であるといわれています。これ以降、東京駅及び周辺地区の再整備の動きが活発化しました。

その後25年を経て2002年、当時の石原都知事とJR東日本大塚社長は、東京駅周辺の開発・整備及び今後の事業実施と必要な都市計画手続きの推進について合意しました。合意された事業内容は「丸の内駅舎保存・復元」「東京駅前広場の整備」「東西自由通路の整備」「行幸通りの整備」「特例容積率適用区域制度の利用」です。国は東京駅丸の内駅舎を、復原を前提に国指定重要文化財に指定しました。

東京駅を「街」とするにあたっての最初のコンセプトは、丸の内駅舎の復原が意味する「歴史」、八重洲側ツインタワーに象徴される「未来」、日本橋口側のサピアタワーの目指す「先進性」でした。その後丸の内と八重洲をつなぐ「核」として地下中央通路を生まれ変わらせる「グランスタ」計画が動き出しました。
東京駅周辺エリアでJR東日本が主体的に進めたプロジェクトは4つです。

①丸の内駅舎保存・復原
②八重洲口「グラントウキョウノースタワー」「グラントウキョウ サウスタワー」「グランルーフ」
③日本橋口「サピアタワー」
④「グランスタ」

「東京駅周辺の街づくり」の内容は、TSC開発と完全に連携を保って進められています。東京駅周辺は、特例容積率適用区域制度の適用地域となっています。この制度を利用することで、歴史的建造物の保存や復元文化的環境の維持・向上を図りつつも土地の高度利用を促進し、歴史と文化を守り活かした都市空間形成が可能となっているのです。

TSCの整備と連携して、エキナカの八重洲と丸の内の連絡ルート(グランスタ)が追加されることにより、地下レベルでも強力な歩行者ネットワークが完成します。同時に地下駐車場ネットワークも整備されます。地上立体歩行空間としては、サウスタワー↔ノースタワー間の歩行者デッキや、グランルーフのペデストリアンデッキを用いた東西通路が設けられます。

八重洲側のグランルーフは、ヒートアイランド現象抑制など、環境面での効果も期待されています。また東京駅のホーム上家にも、太陽光発電などの環境対策が施されています。
外国人訪問客が増加することが予想されるなか、成田空港や羽田空港から東京駅を玄関口として訪れる外国人にとって、駅とその周辺の街は完成後のTSCを中心にまさに日本の顔になるでしょう。

コロナ禍で外国人観光客は減ってしまいましたが、現在の東京駅はここで挙げられた建築物がほぼ予定通り実現された姿といってよいでしょう。今後八重洲側の再開発がより進めば、「ステーションシティ」東京駅の目指す更に先の未来が見えてくるに違いありません。

『進化する東京駅−街づくりからエキナカ開発まで−』内容紹介まとめ

時代に対応し、変化を続けていく東京駅。開業からの歴史に加えて、分割民営化後JR東日本によって本格化したエキナカ開発と、これらと連係した周辺地区開発を総合的に紹介します。駅開発を通して一つの都市(駅都市:ステーションシティ)を形成するため、進化を続ける東京駅の姿を描きます。

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