客船の時代を拓いた男たち 交通ブックス220


978-4-425-77191-2
著者名:野間 恒 著
ISBN:978-4-425-77191-2
発行年月日:2015/12/15
サイズ/頁数:四六判 236頁
在庫状況:在庫有り
価格¥1,980円(税込)
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船を造り、運航させることに人生を捧げた熱き男たちの物語。
19世紀から20世紀初頭、欧州各国では速くて、大きな大西洋航路定期船を造ることに国威をかけて凌ぎを削っていた。やがて巨大な豪華客船への挑戦が始まる。他方、アメリカは国が持つ世界一の船造りに情熱を燃やす。そして日本では、海運会社の誕生、海外にいくつもの航路を開設し、美しい客船が造られていく。
本書の主人公は、これらの船を造った男たち。ライバル船会社との熾烈な争い、海難事故、戦争など数々の至難を乗り越えながらも船造りに挑み続けた彼らのドラマである。


【まえがき】より

交通機関のなかで、船は《世界最大の動く物体world?s largest moving object》である。海事史を紐解くと、多くの経営者や技術者が船を愛し、その誕生と運航に心血をそそぎ、命までかけた姿が浮かびあがってくる。何故これほどまでに凄まじい生涯を送ることになってゆくのだろうか。
大量生産の自動車や航空機とは対照的に、船は1隻、1隻が手づくりで造られる。露天下の作業だから、木造船であれ鋼鉄船であれ、雨の日も風の日も造船工は船の形づくりに勤しむ。粒々辛苦のすえに完成した船が進水するときには、造船技術者(海外ではネイバル・アーキテクトNaval Architect と呼ばれる)や造船工など、仕事に携わった誰もが万感の気持ちで船を海上に送りだす。
経営者の立場からすれば、巨大な物体に乗客や貨物を乗せて大洋を往復させることから得られる大きな社会的満足感そして喜び、さらにライバル船会社との闘い。男子一生の挑戦として離れられない執着となる。それだけに船に魅力があると言えるが、別の見方では人間を惹き付けてやまない「魔力」があるのかもしれない。
自動車や列車には望めない海運の社会的な使命は、世界の歴史を担ったことである。中世から現代まで、海運、なかでも客船は世界秩序の形成で不可欠の動力となった。また戦時における国家への挺身、すなわち輸送船として果たした大きな役割も無視できない。現在では客船の使命はクルーズが主体であるが、広く海上運送(海運)に眼を移せば私たちの生活がどれほど商船に支えられているかが明瞭になる。
自給自足のアメリカと異なり、日本は燃料(石炭、石油、LNG)から食料まで、国民が日々の生活に必要な物資のすべてと言えるほど、海外から輸入している。これら必要不可欠の物資は商船で運ばれている。だから、商船という輸送手段が無くなれば、日本国民はただちに飢える運命にある。私たちにとり、これほど重要な役目を果たしている海運の存在は広く日本人のあいだに知られているだろうか。大量生産の列車や自動車は、メディアのお蔭で人びとに興味を持たれているが、残念ながら海運については、興味本位のメディアからは無視されている。筆者の少年時代、『四面環海』とか『我は海の子』と、どの新聞でも紙面を賑わせていたが、今のメディアが青少年をそのように啓蒙する役目を忘れているのは寂しい限りである。
粒々辛苦して船を造り、その運航に携わった人びとの姿の一部を本書で採りあげたが、読者はこれらの人間像に触れることでわが国にとって海運が如何に大切な存在かということを認識して頂ければ幸いである。

2015年11月
野間 恒

【目次】

§1 イザンバード・ブルーネル
   ―時代に先行した巨船に命をかけた技術者―
§2 サミュエル・キュナードとエドワード・コリンズ
   ―熾烈なライバル競争を展開した北大西洋の先駆者たち―
§3 浅野総一郎
   ―日の丸客船で太平洋航路に切り込んだ日本人―
§4 ハーランド&ウルフをめぐる人びと
   ―美しい船造りに取り組んだネイバル・アーキテクトたち―
§5 アルベルト・バリーン
   ― ドイツ皇帝の恩愛のもと世界一の海運会社に育てあげた海運人―
§6  和辻春樹
   ― 京都文化を体したスタイリッシュな客船を産みだしたネイバル・アーキテクト―
§7 ウィリアム・ギブス    
   ― 20世紀の名客船ユナイテッド・ステーツを産んだネイバル・アーキテクト―
   
資料 主な人物の海事関係年表



この書籍の解説

船旅はお好きですか?ここ数年は閉鎖空間での長期旅行とはなかなかいかない状況が続いていますが、豪華客船での旅は豊かさの象徴でもあります。私(担当M)の両親も老後に余裕ができたらクルーズ旅行もいいね、などと話し合っていたこともありました。
日本にとって船は、必要不可欠な交通機関であり輸送手段です。海を隔てた国々との行き来を最初に可能にしたのは、船でした。中世から現代まで、特に客船は人々の移動を担い、世界秩序の形成をも担ってきたのです。
19世紀から20世紀初頭、欧州各国では速くて大きな船を造り、大西洋航路を制することに凌ぎを削っていました。それはやがて、巨大な客船建造への挑戦に繋がっていきます。欧州やアメリカだけでなく、日本にもその動きは伝わりました。海運会社が誕生し、様々な航路が開設されたのです。
今回ご紹介する『客船の時代を拓いた男たち』は、そんな時代を拓き、海に乗り出した人物たちにスポットを当てて海運史を辿っていきます。歴史上の人物が、時代背景と個人的なエピソードを織り交ぜて語られるうち、生き生きとよみがえってきます。事故や戦争などの様々な苦難を乗り越え、船造りに懸けた人々の姿が、優美な客船の背後に見えてくるかもしれません。

この記事の著者

スタッフM:読書が好きなことはもちろん、読んだ本を要約することも趣味の一つ。趣味が講じて、コラムの担当に。

『客船の時代を拓いた男たち 交通ブックス220』はこんな方におすすめ!

  • 世界史ファン
  • 海運の歴史に興味のある方
  • 人物伝が好きな方

『客船の時代を拓いた男たち 交通ブックス220』から抜粋して3つご紹介

『客船の時代を拓いた男たち』から抜粋していくつかご紹介します。本書は19世紀から20世紀初頭の海運において大きな役割を果たした人物、実業家や船の設計士(ネイバル・アーキテクト)を、おおよそ登場した時系列順に取り上げています。前後する章の人物が関係しながら歴史が進んでいくかたちです。巻末には年表と用語集がついていますので、興味のある人物の項から読むことも可能です。

サミュエル・キュナード

19世紀までの長距離海上輸送は、帆船が圧倒的な地位を占めていました。しかし、風任せの帆船では日程が予測しにくいという難点がありました。19世紀半ばに遠洋ルートに蒸気船が登場し、わりあい確実なスケジュールが可能になりました。「定期航路」の登場です。

イギリスでは産業革命により蒸気船が生まれる条件が備わっていました。北大西洋での定期客船サービスにおいて大活躍したイギリスの船主が、サミュエル・キュナードです。
カナダ出身のキュナードは父親の会社に加わり木材事業を始め、イギリスに木材を販売して巨利を得ます。のちに、東インド会社のハリファックス代理店契約を獲得しました。こうしてイギリスで足場を築き、海運業で活躍する素地を作ります。

蒸気船の将来性に着目したキュナードは、イギリス海軍省による蒸気船を用いた郵便運送を落札します。技師ロバート・ネイビアの協力を得て、大型化した蒸気船4隻での定期便を提案し、海軍省から年に6万ポンドの補助金を獲得します。こうして1840年、ブリティッシュ&ノース・アメリカン汽船会社(キュナード・ライン)が設立されます。

キュナード・ラインの船は質実剛健であり、船内設備は質素なものでした。しかしこの路線で正確な定期運行を実現し、アヘン戦争によって蒸気船の重要性を認識した政府からより多くの補助金を得て事業を拡大し、北大西洋で確固たる地位を築きます。その後木造船からスクリュー推進の鉄船の建造も始め、船内スペースの有効活用ができるようになります。

クリミア戦争に持ち船を提供することで更に信頼度を上げ、キュナードは準男爵の地位を得ました。海軍省からの全面的なバックアップを得たキュナード・ラインは、北大西洋で独占的な地位を築きました。キュナードの没後も北大西洋を中心とする航路網を整備し、世界一の客船会社として名を挙げたのです。

本文中には、歴史上の人物達の人柄を表すようなエピソードが色々出てきます。順風満帆にやってきたように見えるキュナードも、機を見てしたたかに動いています。最初の船での航海では船を隅々まで歩き回り、すべてを自分の目でチェックして、その後も通用する様々なルールを作り上げていたそうです。質実剛健で着実な成長は、そのような姿勢をもってして実現できたのでしょう。

浅野総一郎

太平洋戦争以前の日本を代表する客船会社は日本郵船ですが、日本郵船が太平洋航路に本格的に進出するより前、日本の船会社として初めて極東~ハワイ~サンフランシスコ航路に乗り出したのは東洋汽船でした。その東洋汽船を率いたのが浅野総一郎です。

浅野総一郎は1886年、浅野回漕店を設立し、ロシアから中古船を購入して海運業に参入します。日本郵船と競いつつ、日本郵船が配線しない方面へ船を出し、利益を上げていきました。その後渋沢栄一のアドバイス等もあり、外国航路、特に米国航路への進出を決意し、東洋汽船を設立しました。

提携を求めてサザン・パシフィック鉄道(SP)の社長を訪ね、交渉の結果、パシフィック・メール・スティームシップ(PM)社、O&O、東洋汽船の3社で各鉄道から同等の支援を受け、各寄港地の代理店を同一にして経費を公平に分担する、共同配船契約を結びます。

この3社によるジョイントサービス契約は1897年に整いました。しかし、東洋汽船だけが航路の往路復路ともにハワイ寄港が認められていました。このことが、ハワイ在留邦人に大きな利益をもたらします。

こうしてサンフランシスコ航路は軌道に乗りましたが、SP社を傘下におさめたセントラル・パシフィック鉄道(CP)が強い影響力を発揮し、それを受けてPM社は新型船を投入し輸送力が大幅に増大します。こうして3社のバランスは崩れてしまいます。加えて日露戦争への船舶徴用により、東洋汽船は苦境に陥りました。

これを打破すべく、浅野は3隻の大型客船建造に乗り出します。これで一時的に業績が悪化したものの、遠洋航路補助法の実施やサンフランシスコ航路の荷動き回復を受けて大きく回復し、その後さらに1隻を加えた4隻体制でサンフランシスコ航路は経営されることになります。

その後「地球丸」の喪失を埋めるためのPM船の購入、第一次世界大戦後のアメリカによる太平洋航路への新造船大量投入などに伴い、東洋汽船の業績は大きく上下します。大戦中は好景気に乗っていたものの、1922年には無配に転落してしまいます。関東大震災を挟んだ1926年、東洋汽船は日本郵船と合併しました。

この項では、渋沢栄一、安田善次郎、井上準之助等、教科書などでお馴染みの名前が次々登場し、ドラマティックな逸話が続きます。日本郵船が手出ししなかった航路から始め、浅野は太平洋航路に乗り出します。第一次大戦後に引き渡されたものの日本郵船が拒否したドイツ客船を引き受けて改造し、豪華客船「大洋丸」としたのもその一環でしょうか。

タイタニックをめぐる人々

悲劇の豪華客船タイタニックに関わった人々として、ハーランド&ウルフで設計責任者であったアレクサンダー・カーライルとトマス・アンドリューズについて紹介します。カーライルは16歳でハーランド&ウルフの研修生となりました。35歳で主任設計者になった1889年には「テュートニック」の設計にかかわり、デザイナーとして評判になります。アンドリューズは1889年、16歳でハーランド&ウルフに入社してカーライルの薫陶を受けます。「オリンピック」 型巨船の計画が俎上にあった1907年には、カーライルを継いで主任設計者となっていました。

1907年、渡英したブルース・イズメイは、ハーランド&ウルフの会長ピリー卿と私的に会談します。そこで生まれたアイディアをもとに、キュナード船を凌ぐため、巨大さと豪華な船内設備をもった巨大客船を建造する計画を立てます。その計画は、総トン数4万5千トン、全長270メートルの巨大船を3隻も建造するというものでした。これが「タイタニック」を生んだのです。

カーライルとアンドリューズはそれから1年かけ、設計図を完成させます。この客船は世界最大で、世界一安全な船と宣伝されていました。船体は15の水密隔壁で仕切られ、2区画が浸水しても船が沈まない構造になっていたのです。当時としては画期的な構造でした。

1隻目の「オリンピック」は、公式試運転で計画を上回る速度を記録し、1911年5月に船主へ引き渡されています。しかし、続く「タイタニック」は1912年4月14日氷山に衝突して沈没し、1503名の犠牲者を出しました。

このとき救命艇の不足が問題となりましたが、カーライルとアンドリューズは乗客定員に合わせた数の救命艇48隻を搭載するようブルースに要求していたのです。しかしブルースはコストアップを嫌い、救命艇を増やさせませんでした。またアンドリューズは水密隔壁の高さをBデッキまで上げるように要望しましたが、同じ理由でFデッキまでしか設置できませんでした。

救命艇を含めた設計思想で、カーライルはピリー卿と激論を重ねましたが、良心が尊重されなかったため、1910年、「オリンピック」の進水前に退社しています。「タイタニック」には、ブルース・イズメイと、トマス・アンドリューズが乗船していました。アンドリューズはこのとき、39歳で亡くなっています。

生存者の証言では、アンドリューズは衝突に気づいたのち船をくまなく調べ、この船は1時間ももたないと警告を発しました。救命艇の不足を承知しながら乗客の避難誘導を指揮し、最後は沈む船と運命をともにしました。遺体は発見されていません。

一方ブルース・イズメイは救命艇に乗って生還したため非難に晒されますが、査問委員会では免責されました。その後IMM とホワイト・スターの会長を辞任して、目立たぬように海事に貢献する仕事をし、1937年74歳で死去しています。

設計者の良心がコストを気にする経営陣に却下されてしまったため、アクシデントに際してより悲惨な結果が出てしまう、ということは、事故の記録においてよくみられることです。危機に際して我が身を犠牲にする英雄的な行動の前にも、アンドリューズは設計者の責任を果たそうと努力していました。

『客船の時代を拓いた男たち 交通ブックス220』内容紹介まとめ

19世紀~20世紀、海運の世界は大きく動きました。大西洋航路の覇権を目指して、定期船就航のために国威をかけた欧州各国。巨大船建造に情熱を燃やすアメリカ、海運会社を設立し、新航路開設に挑んだ日本。激動の時代の中で大きな役割を果たした人物にスポットを当て、近現代海運史を解説します。

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船の歴史を知る!オススメ3選

『北前船の近代史(2訂増補版)−海の豪商たちが遺したもの− 交通ブックス219』
主に日本海航路を利用し、本州と北海道を繋いだ北前船。北前船と船主たちが地元と北海道の経済をどのように発展させ、その影響が現代までどのように繋がっていったかを地方別に解説します。増補2訂版では「鉱山と北前船」の項を追加しました。

『新訂 ビジュアルでわかる船と海運のはなし(増補2訂版)』
人はなぜ海に乗り出したのか?から始めて、船の種類や構造、航海術、航海計器、港の役割といった船と港の基本を学びます。その後は海運の歴史、現代までの物流システムの変遷を解説し、物流の将来も考察。1冊で海運・物流が学べるテキストです。

『文明の物流史観』
文明が生まれるためには、人とモノを「運ぶこと」が必要だった?人類は誕生し、移動し、文明が興り、交易が生まれ、国々が繋がっていく。その過程で起こった新しい移動運搬手段の誕生を「移動革命」ととらえ、その視点から現在までの人類史を見つめ直します。


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カテゴリー:交通ブックス 
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