大学の教養から基礎専門程度の読者を想定し、あらゆる海洋現象の基礎となる海水部分の基本的な物理過程を中心に解説しました。コラムでは、津波や海難など、さまざまなマリンハザードが引き起こす災害や影響について、事例やシミュレーションをもとに解説します。
この度はたいへんおこがましくも、「海洋学の教科書」というタイトルで本書を上梓しました。「海洋学の教科書」というタイトルですが、海洋学の全分野を網羅しているわけではありません。学部の教養~基礎専門程度の講義を想定して、あらゆる海洋現象の基礎となる海水部分の基本的な物理過程を中心に説明しました。固体地球や大気運動は、それら物理過程を理解するために必要な範囲で説明しています。また、筆者が所属する神戸大学海洋政策科学部では、海事・海洋について理学・工学・社会科学の面から多角的に学ぶため、人間活動と密接に関わる沿岸海洋や、船舶運航に重要な海面過程も念頭に置きました。海洋化学や海洋生物、海底面や陸面との境界過程については、ほとんど触れていませんので、ご了承ください。
コラムではマリンハザードを取り上げました。海洋国家であり、多様な災害が頻発する日本では、さまざまなマリンハザードが起こっています。津波や台風のように突発的に大災害を引き起こす事象だけでなく、日常的に起こる海難や赤潮もマリンハザードの一種です。また、海底火山噴火で噴出した軽石、海洋投棄されたプラスティックのマイクロプラスティックス化など、新たに顕在化するマリンハザードも多くあります。マリンハザードが引き起こす災害や影響について考える時にも、物理過程が基礎となります。
大学時代は航海士教育を受け、海洋研究開発機構(JAMSTEC)の観測船で観測技術員として働き、大学に着任してから沿岸海洋学を学び始めました。この間、海洋波浪を専門とする井上篤次郎先生(元神戸商船大学学長)、大気海洋相互作用を専門とする石田廣史先生(元神戸大学副学長)、沿岸海洋学を専門とする柳哲雄先生(元九州大学応用力学研究所所長)にご指導を賜りながら研究を続けてきました。また、観測技術員時代に得た経験と知識は、私の基盤を成しています。私のこのような経歴により、本書は構成されています。
上梓にあたり、これまで私に関わってくださった全ての皆様に感謝申し上げます。当初の予定から2年遅れでの出版となり、成山堂書店様には大変ご迷惑をおかけしました。特に、板垣洋介氏、小野哲史氏には忍耐強くお待ちいただき、心よりお礼申し上げます。また、本書を手に取ってくださった皆様にお礼申し上げます。皆様の海洋への理解が進むことを願っています。
「海が好きだから、大学では海について専門的に学びたいな」そう考えた若い方。まず海の何について学びたいと思いますか?海に関係する領域は広く、海洋を専門として学んだことのない私(担当M)が考えるだけでもかなりたくさんありそうです。「海についてどんな研究がされているの?」と疑問をもった中学生~高校生の方は、弊社刊『東京大学の先生が教える海洋のはなし』などをご一読いただくと、その領域の広さがお分かりいただけると思います。
一般に「海洋学」といった場合、何となく海全体の環境についての学問かな?と考えてしまうような気がします。私(担当M)が海とはなんだ、と尋ねられたら、地球表面の7割を占め、塩水で満たされていて、潮の満ち引きと波がある、と答えると思います。ここに挙げたような海に関する情報について突き詰めて学ぼうとしたら、「海洋学」においてはどの部分になるのでしょう?
今回ご紹介する『海洋学の教科書』は、大学の教養レベルの学生を対象として、特に海水の物理的過程について説明しています。海水はどのような物質で、物理的にどのような性質をもち、どう振舞うかということに注目するわけです。そうすると、海流や波、潮の満ち引きなどについて理解ができそうですね。
本書では、上記の内容に加えて、各章末のコラムでは津波や赤潮、海底火山の噴火による軽石といった自然現象に関わる海洋災害、海難事故やマイクロプラスチック汚染といった人間活動に関わる海洋災害など、マリンハザードについて幅広く取り上げます。重要語句は太字で表示し、各章末には「復習ポイント」を設け、初心者が学びやすい構成となっています。海洋学入門書の一冊として、海洋学を学ぼうとする皆さんのお手元に迎えていただければ幸いです。
この記事の著者
スタッフM:読書が好きなことはもちろん、読んだ本を要約することも趣味の一つ。趣味が講じて、コラムの担当に。
『海洋学の教科書』はこんな方におすすめ!
- 海洋学を学ぼうとする学生の方
- 海水の物理に興味のある方
- 船舶工学、海洋工学を学ぶ方
『海洋学の教科書』から抜粋して3つご紹介
『海洋学の教科書』からいくつか抜粋してご紹介します。大学の教養から基礎専門程度の読者を想定し、あらゆる海洋現象の基礎となる海水部分の基本的な物理過程を中心に解説しました。コラムでは、津波や海難など、さまざまなマリンハザードが引き起こす災害や影響について、事例やシミュレーションをもとに解説します。
ENSO
東部の海面水温が平常時よりも高い状態をエルニーニョ、低い状態をラニーニャと呼びます。海面水温の変化とそれに伴う海洋・大気構造の変化をもたらす現象であることが分かったため、20世紀後半から大規模な観測が開始されました。
気象庁は、北緯5度から南緯5度、西経150度から西経90度の範囲をエルニーニョ監視海域と位置づけています。この領域の海面水温と基準値との差の5ヶ月移動平均値が、6ヶ月以上続けて+0.5 ℃以上となった場合がエルニーニョ現象、-0.5 ℃以下となった場合がラニーニャ現象と定義されています。
エルニーニョ現象発生時は貿易風が平常時よりも弱くなったり、西風バーストと呼ばれる強い西風が吹いて西部への表層海水輸送が弱くなったり、東に輸送されたりします。これに伴って東部の湧昇が弱まって海面水温が高くなり、水温躍層の東西傾斜は緩やかになります。また大気の上昇域が東へ移動し、太平洋高気圧が通常よりも東に分布して、日本付近に外縁が位置することで台風の通り道になったり、日本が冷夏となったりする傾向があります。
ラニーニャ現象発生時は、貿易風が平常時よりも強くなることで、暖水がより西部に、より厚く蓄積されます。東部では湧昇が強くなって海面水温が低くなり、水温躍層の東西傾斜が大きくなります。大気の上昇域も西側の狭い範囲に偏り、積乱雲の形成が活発化します。
東南アジアと南太平洋との気圧の間にはシーソーのような関係性があり、これを南方振動と呼びます。タヒチの気圧からダーウィンの気圧を引いた気圧差が、南方振動指数(SOI)です。ダーウィンの気圧が相対的に高くなると、SOIは負の値をとります。この場合はエルニーニョ現象時と同じように、西風が吹く、あるいは貿易風が弱くなる傾向があります。実際、SOIが負の時にエルニーニョ現象が、正の時にラニーニャ現象が発生しています。両者が完全に一致するわけではありませんが、エルニーニョ現象と南方振動とを一つの事象としてENSOと呼びます。離れた場所も大気や海水はつながっているため、それぞれで起こる現象が互いに影響を及ぼし合い相関関係が見られることを遠隔相関といいます。
「風が吹けば桶屋が儲かる」ではないですが、エルニーニョ現象/ラニーニャ現象は、巡り巡って私たちの生活全般に影響を及ぼします。エルニーニョの影響でペルー沖のカタクチイワシ漁獲量が減少し、これを肥料とする大豆が値上がりして、日本で豆腐が値上がりするなど、さまざまな形で影響が現れるのです。
潮位変動
潮位変動にはさまざまな周期成分が含まれており、それらを分潮と呼びます。それぞれの分潮を正弦波で表すと、潮位の時間変動は分潮の重ね合わせとして式で表せます。式に関わる要素の中で、分潮の遅角と分潮の振幅は、その場所で分潮毎に異なる定数です。これらを調和定数と呼び、これが分かれば各分潮の時間変動が求められます。これらは地形が変わらなければほとんど変化しないため、長期間の実測潮位を調和解析することで求められます。つまり、過去だけでなく、未来の天文潮位の時間変化についても高い精度で予測できるのです。
分潮には、おおよそ半日周期の半日周潮、1日周期の日周潮のほか、倍潮、複合潮、長周期潮があり、合計で約60種類の分潮があります。影響の大きな4つの分潮を四大分潮と呼び、これらの合成により潮位変動は概ね説明できます。一般に最も影響が大きいのは、半日周潮の主太陰半日周潮(周期12.42時間)です。
潮位の日内変化において、潮位が極大になった状態を満潮、又は高潮と呼び、潮位が極小になった状態を干潮、又は低潮と呼びます。潮位変動が一日二周期であることを一日二回潮、一日一周期であることを一日一回潮と呼びます。同日の二回の満潮・干潮の高さが異なることを日潮不等と呼びます。日潮不等は月が南北回帰線に近い赤緯最大の時に大きく、赤道に近くて赤緯が小さい時に小さくなります。高潮と低潮との差を潮差と呼びます。
潮位差は、異なる地点間の潮位の差を意味します。満潮から干潮に潮位が降下する間を下げ潮、干潮から満潮に潮位が上昇する間を上げ潮と呼びます。満潮や干潮になるタイミングも、実際には月の子午線通過から時間差があります。月の子午線通過から満潮までの時間差を高潮間隔、干潮までの時間差を低潮間隔と呼び、これらを総称して月潮間隔と呼びます。
潮位変動には、およそ2周期の潮差の月内変動が見られます。潮差が大きい状態を大潮、小さい状態を小潮と呼びます。新月と満月の時期には満潮はより高く、干潮がより低くなり、潮差が大きくなります。半月の時期は潮差が小さくなります。満月や新月から大潮までの日数を潮令と呼びます。潮位は、平均的に夏季に高く、冬季に低い季節変動があります。日本では一般的に、夏~秋にかけて満潮が高くなる傾向があります。
潮位は、検潮井戸に検潮儀を設置して計測します。検潮儀には、超音波式、フロート式、水圧式などさまざまな種類があります。検潮井戸は海に隣接して設置されており、導管を通じて海水が導入され、何らかの観測基準面を設定して潮位を計測します。
気象庁や海上保安庁は、各検潮所で計測された潮位を用いて平均値と調和常数を求め、日本のさまざまな地点・海域の1年間の予測潮位を求めて、気象庁は潮位表を、海上保安庁は潮汐表を刊行しています。潮位表では潮位表基準面を基準としています。潮汐表では最低水面が基準面です。潮位の基準は、いずれもその海域の平均潮位から四大分潮の振幅の和だけ下がった高さです。振幅は、平均海面からの満潮や干潮の高さです。平均海面は海面変動がない状態の海面で、長期間の潮位計測値を平均することで得られます。絶対的な基準として、日本では東京湾平均海面が使用されています。検潮井戸の縁には球分体と呼ばれる水準点が設けられており、ここでの標高を測量により求めることで、東京湾平均海面を基準とする潮位に換算することができます。
毎年海上保安庁から発行される「潮汐表」は、主要な港を標準港として、毎日の満潮・干潮の時刻と潮位などがまとめられています。これを用いて計算をすれば、標準港以外の港についても潮位などを知ることができるのです。この節の冒頭でも触れられていますが、様々な要素で変動する自然現象がかなり正確に予測できるということは、実は珍しいことなのですね。
海洋波浪の定義
海面の波動運動は、定点においては海面の昇降運動の時間変化として捉えられます。また波動の深度-空間断面により空間分布のスナップショットを捉え、複数時間を重ね合わせることで、波動の伝播を表現することができます。海面の波動運動にはさまざまな現象が関係し、それらの駆動力も現象の時空間規模もさまざまです。エネルギーが大きいのは、12時間や24時間周期に見られる潮位変動と、重力波と呼ばれる波動です。
重力波は風で引き起こされ、海面を見た時に海洋波浪、海洋波、海の波として認識する波動です。波動を表現する要素が一定な規則波は正弦波で表現できますが、海洋波浪は数秒~数分周期の広い周期帯にエネルギーが分布しており、さまざまな周期成分が重ね合わされた不規則波です。海洋波浪をスペクトル解析して得られる個々の周波数成分を調和波、調和成分波などと呼びます。これは潮汐における分潮にあたります。海洋波浪の周期の主成分はその時々で異なりますが、不規則現象を捉えるためにスペクトル解析を行います。
不規則波に対して波の要素を定量化するには、一波を定義する必要があります。波高の極大~極大を一波と定義する方法をピーク・ツー・ピーク法と呼びます。一般的に用いられるのはゼロ・アップ・クロス法で、まず水位変動の平均値を求め、平均を同じ方向から横切る点で一波を区切ります。
ゼロ・アップ・クロス法で各波の波高を求め、大きい方から1/3個を取り出した波を有義波といい、波浪情報ではこれを用いています。有義波はゼロ・アップ・クロス法よりも高波高、長周期になり、経験的に目視観測と一致します。目視観測では、大きな波の陰に隠れた小さな波は見えないことや、大きな波に着目しがちになることから、単純平均よりも大きな値を取りがちです。有義波高は平均値ですので、不規則波にはこれを上回る波高が出現します。
一波を定義せず、不規則波の波高の時間変動をスペクトル解析して、最もエネルギーが高くなるスペクトル・ピークを用いて波浪を定義する方法もあります。有義波周波数に比べ、スペクトル・ピーク周波数は低くなります。
「どこからどこまでが一つの波?」と言われると、私(担当M)などは単純に「λ(波の代わりです)が一つの波じゃないの?」と考えてしまいますが、専門の考え方はもちろん違い、もっと厳密に定義されています。とはいえ、我々が海を見て「波が高いなあ」と思うときは目立つ波を目で拾っているかたちになるので、波高の高い波を取り出した有義波を用いた波浪情報と大体一致するのですね。
『海洋学の教科書』内容紹介まとめ
海の中で海水はどのように振る舞い、どのような流れが起こっているのか?海水とはどんな物質で、その物理的特性とはどういうものか?潮汐、海流、波浪の仕組みとその種類は?海水の物理課程の基礎を一冊でやさしく学びます。コラムでは、海に関わる災害について解説しました。
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海を調べる・学ぶ入門書 おすすめ3選
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『海の衛星リモートセンシング入門』
海を調べるには、これまでは船による現地調査や、ブイによる調査が中心でした。しかし現在では、衛星を利用したリモートセンシングによる調査が普及しています。海洋の直面している問題を中心に、その可視化に役立つリモートセンシング技術を解説します。海洋を学ぶ大学生や、海洋に関する分野の行政担当、研究者などにむけて、海洋のリモートセンシングの現状と将来像について伝えることを目的としています。
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『東京大学の先生が教える海洋のはなし』
海に関する各分野の研究者が、研究内容や研究の意義、課題について解説します。海洋学に興味のある中学生・高校生に向けて、現在の海洋が直面している危機やこれから解決すべき課題を示すことで、学校での海洋教育の探究活動に活用できる一冊です。
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『海水の疑問50 みんなが知りたいシリーズ4』
「海はなぜ青いのか?」、「刺身がなぜ塩辛くないのか」などの素朴な疑問から、海洋深層水や人工海水、メタンハイドレードなど資源に関する事柄、地球環境の諸問題まで、海や海水についての疑問に、専門家たちが答えます。