富士山測候所物語 気象ブックス012


978-4-425-55111-8
著者名:志崎大策 著
ISBN:978-4-425-55111-8
発行年月日:2002/9/8
サイズ/頁数:四六判 182頁
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明治時代以降、過酷な自然環境で続けられている富士山頂での気象観測。命をかけた人々の熱意と富士山測候所の全歴史を熱く伝える物語。

【まえがき】より
 標高三七七六?、日本一高い山といえば富士山、この山頂に測候所があるのは誰でもご存じのことと思う。富士山頂では天気の良い日に関東の平野から房総、相模灘、伊豆半島、さらに御前崎の西方まで見えることもまれではない。雲を下に見るのは普通のことである。雷の中に入ることはあるが、雷を下に聞くことはあまりない。遠くに聞くときはある。雨と雪は横から風と共に吹き上がってくる。八月に雪が降る。気象は激しく変化して平地では到底想像することができないほど厳しい。
 富士山は独立孤峰であるから、自由大気の流れに曝されている山頂で気象の観測をすれば、高層の気象がよく分かり、天気予報に大いに役立つではないか、と誰もが考えたことであった。このような考えは外国にもあり、例としてオーストリアのゾーンブリック山観測所がある。標高は三一〇六?で一九世紀末の設立である。アルプス中央部に位置して、一般の気象観測の他に紫外線、空中電気や大気の透明度など、高山ならではの特殊な観測も行った。
 富士山頂に観測所が設置され、通年の気象観測が始まったのは、このような世界情勢に少々遅れて一九三二(昭和七)年のことである。これは第二次の国際極年観測に参加するため臨時に開設されたものであるが、その後も観測が引き続いて今日の富士測候所となっている。
 「昭和七年七月一日朝六時、風は穏やかであるが前夜からの雪が降り続いている。視程は霧のため一〇〇?、気温はマイナス〇・三℃、ロビンソン風速計の軸には南南西の方向に一??の着氷」。
富士山測候所に開設以来の日誌があり、カンテラ日誌と呼んでいる。その第一頁にあるのが年間常時の気象観測が始められた当日の朝の模様である。当時の官報には次のように載せられている。
  「文部省告示第一八七号(昭和七年七月四日) (注、現代常用の漢字を使用、以後同じ)
  国際協同極地観測ノ為左記中央気象台臨時観測所ヲ設置ス。
        名 称            位 置   
   中央気象台臨時富士山頂観測所 静岡県富士郡大宮町富士山頂」
 明治のはじめから国や民間の手により富士山頂の気象観測が繰り返し試みられた。しかし、通年の気象観測所が設置されるまでには、多くの困難な問題を解決するため長い年月と経験が必要であった。
 一八九五(明治二八)年に越冬を目指しながら、残念にも病気のため下山せざるを得なかったが、野中至夫妻は、最初の富士山頂冬期の観測を行った。一九〇七年になると佐藤順一は、富士山頂の気象観測の必要性を強く説き、自ら冬期の登山や夏期の観測を試みていたが、民間私財の協賛を受け、一九二七年にようやく東安河原に観測所の建物を建設することができた。佐藤は早速に観測器械や設備を整え、越冬観測を試みて通年気象観測への道を開いた。一九三二年の富士山頂観測所は、この佐藤小屋を引き継いだのだが、一九三六年に東安河原から山頂最高点の剣が峰に移転して現在に至った。
 一九四一(昭和一六)年、御殿場に事務所が開設し、中央気象台測候課にあった山頂観測所の基地は間もなく三島測候所と御殿場基地事務所に移転した。一九四八年沼津にあった海軍の施設をもらって下土狩分室とし、御殿場を基地事務所として独立、一九四九年に富士山測候所と現在の名称となった。
 一九六四年の観測と通報はテレメーターで自動化され、マイクロ波中継により東京で遠隔制御をして映像を直接観測する気象レーダーは国外にも注目を浴びた。
 富士山レーダーは広範な探知能力により、台風の早期発見はもちろん、台風や集中豪雨の機構などの貴重な資料も得ることになった。しかし静止気象衛星の利用効果が上がり、その上経済的な事情も加わって一九九九(平成一一)年一〇月でレーダーは廃止されたが、気象観測は続けられている。高山気象観測には長期間継続することで地球規模的な気候変動を見出すなど残された課題は多い。
 山頂勤務者の一回の滞頂勤務は現在三週間で、一人の登頂回数は年に三、四回であろうか。滞頂者名簿によると、一九三二年の創立以来、一九九二年までの六〇年間に七一四名が山頂に勤務した。ほとんどが全国から希望して集まった心身共に健全な人達であるが、他の人にできない仕事をやっているという誇りが、富士山頂での困難な仕事を支えてきたのではないだろうか。

二〇〇八年
志崎大策

【目次】
第一章 富士山測候所前史
 一 富士山の高さ
 二 気象観測の始まり
 三 本格的な気象観測
 四 野中至越冬観測に挑む
 五 夏期気象観測の再開
 六 佐藤順一の高山観測の論
 七 富士山観測所の設立を訴える
 八 中断の時代
 九 佐藤小屋
 一〇 昭和初期の夏期観測
 一一 冬期観測への挑戦
 一二 第二国際極年観測

第二章 臨時富士山頂観測所
 一 臨時富士山頂観測所の建設
 二 日本最初の超短波無線実用局
 三 極年観測開始
 四 富士山頂観測所の継続
 五 富士山頂の風向
 六 単独行の訪問者
 七 剣が峰に観測所移転
 八 観測者心得

第三章 富士山頂観測所
 一 剣が峰の気象観測
 二 霧氷と闘う風の観測
 三 滞頂人員の構成と交替
 四 発電の苦労
 五 軍医学校(お隣さん)
 六 着氷実験用風洞
 七 荷揚げと強力
 八 所長藤村郁雄

第四章 苦難の時代
 一 戦争
 二 最初の殉職
 三 送電線布設
 四 空襲
 五 三兆観測所空襲
 六 食糧難
 七 終戦
 八 小出六郎君の遭難
 九 電気剣が峰に上がる

第五章 富士山測候所
 一 富士山測候所の独立
 二 山頂の余暇
 三 凍傷、けが、病気など
 四 雷
 五 富士山中腹観測
 六 太郎坊避難所
 七 気象資料の刊行
 八 殉難碑
 九 富士山の大雪
 一〇 励ましと贈り物
 一一 依託や共同研究
 一二 無線通信
 一三 天気予報
 一四 長田輝さんの殉職
 一五 登山安全対策
 一六 BOAC機の墜落
 一七 笠雲、吊し雲

第六章 富士山レーダー
 一 富士山レーダー設置の必然性
 二 設置計画
 三 山頂?東京の見通し試験
 四 レーダーの性能
 五 建設と資材輸送
 六 気象レーダー完成
 七 富士山測候所の新運営
 八 富士山レーダーの成果
 九 レドームの着氷
 一〇 台風六六二六号
 一一 急病人

第七章 庁舎改築とレーダー更新
 一 富士山測候所新庁舎の建設
 二 日本山岳史上最大の遭難
 三 送電線の更新
 四 風力塔
 五 新庁舎の後工事
 六 富士山レーダーの更新
 七 山頂勤務中の遭難殉職
 八 富士山頂の最低気温
 九 富士山頂の風速
 一〇 富士山測候所創立五〇周年
 一一 富士山レーダー引退
 一二 富士山気象レーダーお別れ会

(気象図書)


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