冬になるとオホーツク海にやってくる流氷。実は海が凍るってそうそう簡単なことではないのです。以前は港をふさいで厄介者だった流氷が、いまでは豊富なプランクトンのゆりかごだったり、地球環境に影響していると知られるようになりました。オオワシが舞い、アザラシがひょっこり顔を出す白い海に魅せられて50年、流氷博士からの贈り物です。
海氷研究のためにオホーツク沿岸の小さな街に赴任したのは1965(昭和40)年の秋でした。はじめての冬が来ました。ある朝、水平線が輝いていました。流氷の到来でした。青い海原は日毎に白い氷野に変わっていきました。本来の使命を忘れて、北の海の壮大なドラマに心を奪われてしまいました。
俳人が『流氷や 旅びとだけに美しき(今 鴎昇)』と詠んだように、浜の人びとにとって流氷は¥美しき¥”などというような代物ではありませんでした。流氷に仕事を奪われ、漁師は余儀なく出稼ぎに行きました。流氷は海氷の航行を頑に拒みました。流氷遭難が頻発、多くの命が失われました。氷海の岸壁や原油掘削リグを壊す事故も起きました。人類にとって流氷は白い魔物、厄介者に過ぎませんでした。時は流れて、いま漁師たち自身が、流氷がプランクトンを運んで来てくれるとか、流氷の多い年は漁模様がいいなどといいます。流氷は悪玉から善玉に替わったのです。
近年海水面積が急速に減少しています。餌場を失ったホッキョクグマが餓死したり、多くのアザラシの赤ん坊が溺れ死んだりしています。北極海の通年航行の可能性が高まり、航路開発や北極海の海底資源開発のための氷海工学の重要性が見直しされる兆しもあります。
拙著では海氷の基礎的な諸性質、海氷存在の意義、地球環境との関わりなどについて考えていきたいと思います。百科事典的な網羅主義は採りませんでした。長年氷上の現場観測に従事しながら必要に迫られた課題に偏った恐れがあります。氷海の理解には重要でありながら説明が煩雑になるためにほとんどの参考書が避ける課題もあります。しかし自分自身の体験から重要と思われるテーマについては、詳しく説明するようにしました。また、特殊な専門分野については、それぞれの専門書に譲ったり、さらりと触れる程度に留めたりしました。
今日ではスーパーコンピュータのプログラムで簡単に結果が得られるようなテーマもありますが、拙著ではその基本概念を学ぶことに重点を置きました。幕間には流氷の魅力、流氷にまつわる逸話、流氷閑話等を盛り込みました。気長に楽しみながらおつきあいいただければ幸いです。
北海道に住んでいなくても、「流氷到来」のニュースを聞くと「冬真っただ中だなあ」と寒さを噛みしめる人は少なくないでしょう。流氷シーズンにオホーツク海沿岸までツアーなどで見学に出かける熱心な方もおられるかもしれませんね。今年はいつだろう、早かった、遅かった、量はどうだ、など、地元の観光に関わる方などは、細かいデータが気になると思います。早い接岸を祈る祈願行事なども行われていますね。
この流氷のもととなる海の氷「海氷」は、北の海で生まれます。かつては冬の航行を阻むものとして船乗りたちに厄介者扱いされた氷が、実は地球の熱に関わる重要な役割を担っているとわかりました。海氷が減ってしまうと、氷に覆われていない海面は太陽光の熱をそれだけ多く吸収してしまうので、地球が熱をため込んでしまうのです。
「北極海航路」など、北の海に凍らない部分があることで助かる点もあるとはいえ、北極圏の海氷面積が減ってしまうと気候変動はさらに深刻になりかねません。また海氷は凍るときに塩分を排出するため、海氷ができる場所では高塩分で低温の海水が海の底へ沈んでいきます。この動きが深層海流の原動力のひとつといわれています。
今回ご紹介する『流氷の世界』は、流氷に魅せられた著者が、「海の氷がどのように作られ、どのように流氷として流れてくるのか?」という根本的なところから、海氷について解説してくれます。先に述べたような海氷の働きを理解するために、海氷がどんな性質の氷で、どうして流れてくるのかを知っておこうというわけです。コラムなどでは、海の氷と「闘ってきた」船乗りたちのエピソードも語られています。
この記事の著者
スタッフM:読書が好きなことはもちろん、読んだ本を要約することも趣味の一つ。趣味が講じて、コラムの担当に。
『流氷の世界』はこんな方におすすめ!
- 極地の気象に興味のある方
- 流氷を見に行きたいと思っている方
- 海洋・気象・環境に興味のある方
『流氷の世界』から抜粋して3つご紹介
『流氷の世界』からいくつか抜粋してご紹介します。冬の風物詩として有名なオホーツク海の流氷。しかし、海が凍るということはそれほど簡単なことではありません。海洋や地球環境の研究が進むにつれ、流氷は北の海の邪魔者から地球の気候や生物に貢献する重要な存在に変わりました。流氷に魅せられた研究者が、様々な流氷の謎について解説します。
海氷ができるまで
気温が低いほど、風が強いほど、波が大きいほど海水は早く冷えます。波が大きいほど寒気に触れる面積が広くなり、海面から奪われる熱量が多くなるからです。海水が結氷温度まで冷えると海氷の誕生も目前です。段階を追って解説しましょう。
氷晶:海水が凍る温度(約マイナス1.8℃)まで冷えると対流が停止します。さらに冷却が進むと海面付近の海水中に微小な氷の結晶が発生します。結晶はさまざまな形状に成長しながら浮上していきます。これを「氷晶」といいます。氷晶は海水中の真水の部分が凍ったもので、純粋な水(H2O)の結晶です。海氷が発生、成長すると、周囲の海水の塩分は増します。
グリース・アイス:寒気が厳しいほど氷晶の発生は盛んになります。氷晶は互いに連なりあって海面を覆い、海面にスープ状の層を作り出します。これをグリース・アイスといいます。
綿氷:密度を増した氷晶群は波に揺られ離合集散を繰り返し、直径数cmの海綿状の軟らかく白い氷の集合体となります。これを「海綿氷」といいます。凍り始めた海面には、海綿氷、グリース・アイスが混ざり合いながら揺らいでいます。
新生氷:氷晶、グリース・アイス、海綿氷、雪泥など新しくできた氷を総称して新生氷とよびます。浮上した氷晶が密集した状態で、まだ形状をつくるほど固くなってはいません。新生氷は薄い膜状に発達し、さざ波は完全に消えてとろりとした感じになります。
ニラス:膜状の氷はやがて軟らかい板状の氷に成長します。これを「ニラス」とよびます。海の青が透ける程薄い氷板の「暗いニラス」と、厚さを増し白っぽく見える「明るいニラス」とに分けられます。表面の微かな縞模様は波の痕跡です。
いかだ氷:氷面に作用する風の力や向きの違いによって、氷板の重なり合いや氷板の離散が発生します。うねりは、氷板を撓ませながら伝わっていきます。氷板にはうねりだけではなく同時に風の力も加わります。うねりによる上下運動と風の水平運動が同時に作用して、指を重ねるように氷板が重なり合います。いかだのように見えるので、指状いかだ氷とよばれます。
氷殻:寄せる波が次々に凍てついてできた、いわば波の化石を、氷殻といいます。穏やかな海で海水が直接結氷するか、海綿氷から形成されます。塩分の少ない河口付近でよく見られます。
はす葉氷:軟らかい新生氷がうねりに揺らぎながら固まって氷の円盤になります。または、ある程度固くなったニラスや氷殻がうねりで割られて角張った氷板群となり、氷板同士がぶつかり合い、角を削り合って円盤になることもあります。どちらも繰り返す衝突で縁がまくれ上がった縁取りのある氷の円盤になります。蓮の葉に似ているので、はす葉氷とよばれます。円盤の直径は20〜30cmから3m、厚さは10cm内外です。氷盤のサイズはうねりの波長のほぼ半分です。これは新生氷を撓ませ、亀裂をつくった外力がうねりであることを示しています。はす葉氷が海を覆うと、うねりは伝わりますが小さな波は抑えられて、海は穏やかになります。やがてはす葉氷の隙間の開水面も凍って、青い海は白い海へと変わっていきます。
次に紹介する項でも触れられていますが、海の氷は塩分を排出しながら凍るので、海氷の周りの海水は冷たく、塩分の濃いものとなります。比重の増した海水は深い方へ沈んでいきます。このことによって海水の循環が起こります。地球規模での海水の循環が地球全体の気候を左右することが、本書の後半や気象学の本でも触れられています。
海氷の構造
《真水と海水の凍り方の違い》
真水と海水の凍り方の違いについて簡単に説明します。水温が4℃以上では、純水は冷たいほど重く、4℃以下では温かいほど重くなります。4℃以下の池では、冷たい水が表面にあり、温かい水は沈んでいます。上下の水は混ざることなく冷えていき、表層が0℃になると凍り始めます。生成された純氷は表面に浮きます。
ところが塩分24.7‰以上の海水は、冷たいほど、塩分が濃いほど重くなります。塩分が同じであれば冷たいほど重いので、水は対流を繰り返しながら冷えていきます。そして対流層全層が結氷温度に達すると凍り始めます。河口や湖口付近を除いた一般の海洋の塩分は31〜35‰なので、海は深いほど凍りにくいといえます。
《海氷の内部構造》
海氷の内部はどうなっているのでしょうか。平坦な氷野から厚さ約cmの氷の板を切り取り、海面に浮かすと海氷の内部が透けて見えます。上部の白っぽいところは、グリース・アイス(氷晶が密になってできたスープ上の層)、海綿氷(表将軍が離散集合を繰り返してできた海綿状の柔らかい氷)、ニラス(膜状の氷が成長してできた板状の氷)などが凍結固化したもので、小さな結晶の粒が無秩序に詰まっています。海面が氷で覆われると波は消え、氷の底面に接する海水が静かに凍っていきます。ここから下の部分は海氷独特の結晶構造となり透き通るように見えます。
急速に成長しつつある海氷の底面には、ガラスの欠片のような薄い結晶の板(氷の短冊とよびます)が並んでいます。短冊の一枚一枚は、海水中の真水が凍ってできたもので、純粋な水(H2O)の結晶で、完全な単結晶です。結晶は結晶方位とよばれる方向軸をもっています。その向きによって物理的性質(成長速度、光に対する屈折率等)が異なります。
この薄い氷の短冊の一枚一枚が海氷の基本要素です。この短冊が隙間無く並んで海氷を形作っていきます。ここで短冊は鉛直下方に伸びていますが、その面の向きは一様ではありません。
切り出して表面を滑らかにした氷に煤を塗り付けて拭うと、隙間や凹んだ部分にだけ黒い筋が残ります。こうして得た「氷の拓本」を見てみると、ほぼ同じ厚さの短冊が数枚ずつ束ねられた小冊子が、密に接し合って色んな向きに立っているように見えます。海氷はさまざまな向きの小冊子を箱に縦に詰め込んだような構造をしているのです。
単結晶である短冊が同じ向きに綴じられた小冊子の一つ一つも、結晶学的には単結晶と同じ性質を示します。この単結晶の束である小冊子は結晶粒とよばれます。細い丸い黒い斑点や黒い帯状は、氷内部に閉じ込められていた濃い塩水(ブライン)や気泡の痕です。
短冊の厚さは0.2〜1.4mm、結晶粒の大きさ、つまり小冊子の切り口の面積は0.2〜5平方cmです。海氷の厚さが増すにしたがって結晶粒の大きさは直線的に増加することが知られています。
海氷の構造を特殊な方法で詳細に観察するためには、厚さ1〜2mmの氷の薄片を作ります。結晶には向き(結晶方位)があります。結晶方位によって、光に対する性質や結晶成長の速さなどが異なります。これを結晶の異方性といいます。偏光という特殊な光を透して見ると、結晶方位によってちがう色に見えるのです。
この項では「海は深いほど凍りにくい」ことが説明されていますが、流氷の故郷オホーツク海の平均深度は800mで、十分に深い海といえます。しかし、この海は11月には凍り始めるのです。その謎を、次にご紹介する章で詳しく解説しています。カギは、「塩分の二重構造」です。
オホーツク海の海氷
オホーツク海はカムチャッカ半島のシェリコフ湾から知床半島に至る南北約2000kmの細長い海です。オホーツク海は外海からの水の流入が比較的少なく、オホーツク海固有の塩分の二重構造が保たれやすい条件を備えています。
《海氷域の季節変動》
オホーツク海の海氷分布の平均的な季節変化を見てみましょう。11月に入るとオホーツク海の北端シベリア大陸沿岸、北東端のシェリコフ湾や間宮海峡北部が凍り始めます。氷域は南へ広がっていき、1月下旬には北海道やクナシリ島、エトロフ島に接近します。同時にオホーツク海の北海道沿岸域も結氷し始めます。オホーツク海の氷域面積が最大になるのは3月下旬で、オホーツク海の全面積の70〜80%に達します。
春、気温が結氷温度(約マイナス1.8℃)以上に回復すると、海氷は南部から解け始めます。氷域は徐々に北方へ後退していき、6月中にほとんどが解けてしまいます。オホーツク海の海氷はすべて季節海氷(一年氷)で多年氷は存在しません。
観測が困難なため、オホーツク海全域の氷厚分布の組織的測定はなされていませんが、これまでの部分的な観測結果によると、オホーツク海北部・シベリア大陸沿岸域、間宮海峡北部海域での最大氷厚は1m強、オホーツク海南端の北海道沿岸で30〜40cmと考えられています。
《オホーツク海を海氷南限にしている理由》
1)塩分の二重構造
海は対流を繰り返しながら冷えていき、全層が結氷温度になってようやく凍り始めます。したがって、海は深いほど凍るのに時間を要するはずです。本当に平均水深800m以上のオホーツク海の全層が結氷温度に達してから凍り始めるのでしょうか。オホーツク海の鉛直混合(対流)の深さについて考えましょう。
オホーツク海の塩分濃度を調べると、表面付近とその下の塩分の違いが目立ちます。表層から50〜60mまでの塩分は32‰以下ですが、その下層の塩分は飛躍的に34‰以上の高塩分となっています。オホーツク海は上下で塩分が著しく異なる典型な塩分二重構造の海なのです。オホーツク海の鉛直混合(対流)は、表層から50〜60mまでの低塩分層(低密度)に限られます。表層の水温が冷えてさらに重くなっても、その下の高塩分の水以上の重さにはなり得ないからです。
太平洋や日本海には、オホーツク海のような明確な塩分の二重構造が見られません。両海とも秋以降対流を起こしながら深くまで冷えていきますが、塩分濃度が二重構造ではないので対流がより深くまで及び、結氷する前に春になってしまうのです。
2)シベリア降ろしの寒風
冬、オホーツク海一帯には西高東低の気圧配置が卓越し、このシベリア降ろしの寒風がオホーツク海を冷やし続けます。オホーツク海最北端のシベリア大陸沿岸は11月に凍り始めますが、生まれた海氷は厚い定着氷になる前に次々に沖合へ流し出されてしまいます。この海域には、こうして開水域や剥氷域(風成ポリニア)が発達します。そこで新生氷が生成されるのです。ポリニア生まれの流氷は、北風と東樺太海流に乗ってオホーツク海の南部へ運ばれます。
《海氷の生みの親》
なぜオホーツク海だけが顕著な塩分の二重構造をしているのでしょうか。それにはアムール川が関係しています。アムール川はシベリア東部の大量の雨水や雪解け水を間宮海峡へ運びます。アムール川の河川水の大半は北上してオホーツク海へ流入すると考えられています。この大量の河川水が塩分二重構造の海をつくり出すのです。
冬の終わりにオホーツク海の8割を覆った海氷は、夏にはすべて解けてしまう季節海氷(1年氷)です。海氷は塩分を排除しながら成長するために、海氷に含まれる塩分は、元の海水の数分の1になります。このため、海氷が解けると表層に低塩分水ができます。海氷の生成、融解、移動は、塩分二重構造の維持、拡張を助けています。
オホーツク海は、その水塊構造(塩分の二重構造)、気象条件(寒気、西高東低の気圧配置)、地形(閉鎖された海)の3条件が揃って海氷南限の海をつくり出しているのです。
オホーツク海の海氷面積は、実は年ごとに大きく変動しています。地域の気温や海水温、風の影響が大きいためです。しかし長期的にみても、オホーツク海の海氷面積は減少傾向を示しています。地球温暖化の影響であると言い切ることには慎重な意見がありますが、海氷の減少が海洋循環に影響を及ぼすことは確かです。この先、気候や漁業資源への大きな影響が出るかもしれません。本書の第9章でも、海氷の減少について詳しく考察しています。
『流氷の世界』内容紹介まとめ
近年海氷面積が急激に減少しています。地球の空気を冷やす役割があると判明した海氷の減少は由々しき問題であり、氷海工学の重要性も高まっています。この本では海氷の物理的性質や組成、流氷の動きの解説に重点を置いて解説しています。海氷生成のメカニズムや性質、流氷の動き方を理解すれば、海氷と気象との関係、海洋環境、海洋生物、水産資源との関係などを考える基礎となるでしょう。
極地の環境を知る おすすめ3選
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『改訂増補 南極読本』
南極はどのような場所で、観測隊員たちは何を調べているの?今までにどんなことが分かっているの?南極の歴史、気象、地理、生物、物理観測、観測隊員の生活等、南極観測隊員が分かりやすく解説します。
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『北極読本』
北極はどんな場所なのか。南極とはどう違うのか。今、何が起こっているのか。探検の歴史、気象、地理、生物、物理観測、多くの国が接している北極域に暮らす人々や、そこで起こっている諸問題まで、北極の専門家がビジュアルに解説します。
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『オーロラの謎』
神秘的なオーロラはどんな原理で起こっていて、何を使って観測しているの?観測すると何がわかるの?最前線で研究を続ける研究者が、南極・北極の比較観測でわかったオーロラの仕組みや特性を科学的にわかりやすく解説します。