コラム
2015年12月25日
北極読本
コラム1 スバールバル条約
『北極読本ー歴史から自然科学、国際関係までー』までに掲載しているコラムを紹介。「コラム1 スバールバル条約」
スバールバル諸島にあって、定住者がいる世界最北の町ニーオルスン(Ny-Ålesund)は現在10か国以上の国が極地科学や環境科学の観測研究を実施する世界的拠点である。また諸島最大の町ロングイヤービン(Longyearbyen)には欧州非干渉散乱レーダー科学委員会(通称EISCAT、北欧3か国と英国、日本、中国が現在の加盟国)が世界屈指の超高層大気観測用の大型レーダーを設置し、観測研究を続けている。このほか、1932年に旧ソ連の会社がオランダの会社から買い取った炭鉱町バレンツブルグには、500名程度のロシア人が定住している。このように、スバールバルでノルウェー以外の国の人たちが自由に居住し、観測研究できるのは、1925年に日本を含む14の原署名国により発効した、スバールバル条約があるからである。
スバールバル諸島は、ノルウェーの北方、北緯74.5度から81度に至る北極圏のバレンツ海にある群島で、広さは日本の面積の1/6程度であり、2014年後期で2,118人が住んでいる(巻末の出典・参考文献を参照)。1596年にオランダ人探検家のウィレム・バレンツにより発見されたが、それ以前にノルウェー人により発見されていたともいわれる。また、アイスランドの文献には類似の地名が記されているが、それが現在のスバールバルのことなのかそれともヤンマイエンやグリーンランドに対応したものなのかは定かではない。
この諸島は、元はオランダ語で「尖った山々」を意味するスピッツベルゲン (Spitzbergen)と呼ばれていた。それが1925年にスバールバル条約が発効した後はノルウェー語でスバールバル諸島と呼び、最大の島をスピッツベルゲン島と呼ぶようになった。この地では17世紀からさまざまな国が捕鯨、漁業、鉱山業、研究、観光などの活動を行ってきた。当時スバールバル諸島は国際的にどの国にも属さず、法律や規制はなく、紛争を解決する裁判所もなかった。活動が捕鯨と研究に限られていた間はこのような状態でも問題はなかった。しかし、19世紀の半ば過ぎに鉱物資源が発見され、20世紀に入ってアメリカやイギリスの資本が炭鉱の操業を開始するなど、島の開発が本格化するようになると、炭鉱経営者と労働者との間の労働争議など、さまざまなトラブルが起き、スバールバル諸島の帰属と土地の所有権や争議に関する規則が必要となった。
幾多の国際的な努力と失敗が繰り返され、最終的に第一次世界大戦終了後の1919年、パリ講和会議での戦勝5大国(日本も含まれた)の商議の後、1920年2月9日に14か国の原署名国の全権委員がスバールバル条約の協定に署名した。原署名国はノルウェー、米国、デンマーク、フランス、イタリア、日本、オランダ、スウェーデン、グレートブリテン及びアイルランド連合王国とその海外統治国(カナダ、オーストラリア、インド、南アフリカ、ニュージーランド)であった。日本からはフランス駐在特命全権大使の松井慶四郎が参加し署名をしている。日本が1925年8月2日に最後に批准し、条約は同年8月14日に発効した。日本国内の審議については、国立公文書館アジア歴史資料センターの資料『1924年(大正13年)12月10日枢密院會議筆記「スピッツベルゲン」ニ關スル條約御批准ノ件』に詳しい。当日は、摂政宮(後の昭和天皇)、濵尾議長、顧問官、大臣等により、条約の内容の確認と経緯等が議論され、全会一致で可決されたとの記録がある。
スバールバル条約は、通信や気象観測等に関する事項まで広範囲に規定しているが、基本的な考え方を要約すると以下のようである。90年前に作られたものとしては大変進歩的な考えに立つことがわかる。
・ 主権:スバールバル諸島はノルウェーの領土で統治下に置かれる。ノルウェーが法律を制定し執行するが、本条約はその一部に制限を与え、ノルウェーはそれを尊重する。
・ 加盟国の等しい権利:全条約締結国の国民や会社は、スバールバルへの出入り、居住・滞在や漁業、狩猟、海洋、工業、鉱業、貿易活動をする権利を等しく有する。すべての活動はノルウェーの法律の下で行われなければならないが、その規制に加盟国間での違いはない。
・ 税金:スバールバルで徴収される税金はスバールバルの統治・運営にのみ使われる。そのために必要な額以上の(余剰収入となる消費税等の)税金は取れない(実際、スバールバルの税金はノルウェー本国に比べて低くなっている)。
・ 軍事活動の制限:ノルウェーはスバールバルに軍事施設や海軍基地を設置しない。また、軍事目的に使用しない(実際、ノルウェーの活動としては沿岸警備隊のみである)。
・ 自然保護:ノルウェーはスバールバルの自然環境の保護・保全の義務を負う。
現在、加盟国は42か国に達し、それらの国の活動は、条約の恩恵もあって観測研究を中心にますます発展を続けている。例えば、ニーオルスンでの観測、研究がそうであり、加えてロングイヤービンには2008年2月にオーロラ光学観測のためのKjell Henriksen 観測所が開設された。日本の極地研究所を始め世界各国が多様な観測機器を設置して、オーロラ研究が精力的に行われている。また、1993年にノルウェー4大学により開校したスバールバル大学センター(UNIS)には、極地科学に関わるさまざまな分野があり、ノルウェー人以外の多くの国からも学生が集まって、友好を深めながら勉学に励んでいる。 (藤井良一)
北極読本ー歴史から自然科学、国際関係までー
スバールバル諸島は、ノルウェーの北方、北緯74.5度から81度に至る北極圏のバレンツ海にある群島で、広さは日本の面積の1/6程度であり、2014年後期で2,118人が住んでいる(巻末の出典・参考文献を参照)。1596年にオランダ人探検家のウィレム・バレンツにより発見されたが、それ以前にノルウェー人により発見されていたともいわれる。また、アイスランドの文献には類似の地名が記されているが、それが現在のスバールバルのことなのかそれともヤンマイエンやグリーンランドに対応したものなのかは定かではない。
この諸島は、元はオランダ語で「尖った山々」を意味するスピッツベルゲン (Spitzbergen)と呼ばれていた。それが1925年にスバールバル条約が発効した後はノルウェー語でスバールバル諸島と呼び、最大の島をスピッツベルゲン島と呼ぶようになった。この地では17世紀からさまざまな国が捕鯨、漁業、鉱山業、研究、観光などの活動を行ってきた。当時スバールバル諸島は国際的にどの国にも属さず、法律や規制はなく、紛争を解決する裁判所もなかった。活動が捕鯨と研究に限られていた間はこのような状態でも問題はなかった。しかし、19世紀の半ば過ぎに鉱物資源が発見され、20世紀に入ってアメリカやイギリスの資本が炭鉱の操業を開始するなど、島の開発が本格化するようになると、炭鉱経営者と労働者との間の労働争議など、さまざまなトラブルが起き、スバールバル諸島の帰属と土地の所有権や争議に関する規則が必要となった。
幾多の国際的な努力と失敗が繰り返され、最終的に第一次世界大戦終了後の1919年、パリ講和会議での戦勝5大国(日本も含まれた)の商議の後、1920年2月9日に14か国の原署名国の全権委員がスバールバル条約の協定に署名した。原署名国はノルウェー、米国、デンマーク、フランス、イタリア、日本、オランダ、スウェーデン、グレートブリテン及びアイルランド連合王国とその海外統治国(カナダ、オーストラリア、インド、南アフリカ、ニュージーランド)であった。日本からはフランス駐在特命全権大使の松井慶四郎が参加し署名をしている。日本が1925年8月2日に最後に批准し、条約は同年8月14日に発効した。日本国内の審議については、国立公文書館アジア歴史資料センターの資料『1924年(大正13年)12月10日枢密院會議筆記「スピッツベルゲン」ニ關スル條約御批准ノ件』に詳しい。当日は、摂政宮(後の昭和天皇)、濵尾議長、顧問官、大臣等により、条約の内容の確認と経緯等が議論され、全会一致で可決されたとの記録がある。
スバールバル条約は、通信や気象観測等に関する事項まで広範囲に規定しているが、基本的な考え方を要約すると以下のようである。90年前に作られたものとしては大変進歩的な考えに立つことがわかる。
・ 主権:スバールバル諸島はノルウェーの領土で統治下に置かれる。ノルウェーが法律を制定し執行するが、本条約はその一部に制限を与え、ノルウェーはそれを尊重する。
・ 加盟国の等しい権利:全条約締結国の国民や会社は、スバールバルへの出入り、居住・滞在や漁業、狩猟、海洋、工業、鉱業、貿易活動をする権利を等しく有する。すべての活動はノルウェーの法律の下で行われなければならないが、その規制に加盟国間での違いはない。
・ 税金:スバールバルで徴収される税金はスバールバルの統治・運営にのみ使われる。そのために必要な額以上の(余剰収入となる消費税等の)税金は取れない(実際、スバールバルの税金はノルウェー本国に比べて低くなっている)。
・ 軍事活動の制限:ノルウェーはスバールバルに軍事施設や海軍基地を設置しない。また、軍事目的に使用しない(実際、ノルウェーの活動としては沿岸警備隊のみである)。
・ 自然保護:ノルウェーはスバールバルの自然環境の保護・保全の義務を負う。
現在、加盟国は42か国に達し、それらの国の活動は、条約の恩恵もあって観測研究を中心にますます発展を続けている。例えば、ニーオルスンでの観測、研究がそうであり、加えてロングイヤービンには2008年2月にオーロラ光学観測のためのKjell Henriksen 観測所が開設された。日本の極地研究所を始め世界各国が多様な観測機器を設置して、オーロラ研究が精力的に行われている。また、1993年にノルウェー4大学により開校したスバールバル大学センター(UNIS)には、極地科学に関わるさまざまな分野があり、ノルウェー人以外の多くの国からも学生が集まって、友好を深めながら勉学に励んでいる。 (藤井良一)
北極読本ー歴史から自然科学、国際関係までー