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2010年9月14日  

海上保安庁 中部空港海上保安航空基地 飛行長 灘波陽子様

海上保安庁 中部空港海上保安航空基地 飛行長 灘波陽子様
海上保安庁では初の女性飛行長となった灘波さんに現場で働く様子をお聞きしました。男性ばかりの職場で働く女性に迫る!

1日のスケジュールを教えてください

勤務形態には何種類かありますが、主に午前8時30分に出勤し、午後5時15分に退庁するというパターンが多いです。この他に、早朝から昼まで、午前中少し遅い時間から夜まで、あるいは昼から夜遅くまでといった勤務形態もあります。
勤務の内容は、通常フライトと言っていますが、洋上にヘリコプターを飛ばし「しょう戒」、つまり、パトロールをして何か異常がないか確認をしています。また、海難に備え、巡視船の潜水士と連携して、吊り上げ救助の技術を高めるための訓練を実施しています。
これらのスケジュールの他に、突発的な事件事故にも対応しています。
それ以外では、飛行長という立場になりましたので、自治体、警察、消防、自衛隊等の関係機関との対外的な調整や会議出席などもあります。
海難事故や災害があった時に、いろいろなリソースを活用し、いかにして人を助けることができるかなど、救難防災関係の担当が集まる会議に出席して顔を突き合わせながら話し合います。
海上保安庁内でも、例えば潜水士と巡視船艇、航空機という連携もやっています。また、飛行長という役職は、航空基地のパイロットのトップですが、海上保安航空基地としての業務運営方針を策定する基地長を補佐し、大きな仕事も任せてもらえる立場でもあるので、やりがいもあり楽しく仕事をしています。

なぜ海上保安庁を目指したのでしょうか?

高校生の時に、「大学を目指すに当たっては、自分の将来の仕事もイメージしながら選びなさい。」と指導してくれる先生に出会いました。
当時の私は、工学系の大学へ進めばエンジニア、化学系の大学へ進めば化粧品の開発者になる等、漠然とそのようなことを思いながら理学部とか工学部がいいなと思っていました。
そんな時、高校へ海上保安庁の方が立派な写真集とパンフレットなどを持ってきて、「もしよかったら海上保安大学校を受験して下さい。」と案内してくれたのです。それを見た高校の進路指導の先生が、「実際の試験に勝る模擬試験はないから受けてみたら」と勧めてくれました。
当時、海の無い岐阜県の高校生だった私は海上保安庁のことを全く知りませんでしたが、先生の言うとおり、いい機会だし試験を受けてみようと思ったのです。それが海上保安庁を知ったきっかけであり、受験したきっかけです。申込んだからには、その大学に入った後の自分の将来の仕事をイメージするにあたり、海上保安庁がどのようなところなのか、どのような仕事に就くことになるのかが知りたくなって、海上保安庁の方が置いていったパンフレットを読んでみました。
飛行機、ヘリコプター、巡視船などに乗って荒れ狂う海に人を助けに行くということが書かれており、なにかかっこいいなぁと思いました。
受験申込みの時には、まだ、海上保安庁に行くとか行かないとかは全く考えてなく、単純に大学受験用の模擬試験の感覚だったのですが、パンフレットを見ているうちに、海上保安大学校で勉強したことがそのまま海上保安官という仕事に直結していて、このように、巡視船艇や航空機を駆使して人知れず誰も見ていない海で人助けし、正義の味方みたいな仕事をしている人たちがいたのだということを知って、すっかりのめりこんでしまったのです。そして、海上保安大学校を受験、合格しました。
父は、男世界はそんなに甘くないぞと反対でしたが、母はチャレンジしてみればと背中を押してくれました。

初出動の時のことをお聞かせ下さい

海上保安大学校を卒業後、航空研修を修了し、最初の赴任地鹿児島航空基地に着任して間もない頃でした。
外国漁船が火災を起こし救助の要請を受けたので、飛行機の副操縦士としてその海難に対応し飛んで行きました。
はるか彼方の洋上での海難であり、わずかな情報を元に飛行機で現場に向かいました。
取ったばかりのパイロット免許はあるものの、初出動なので海上保安官としての現場経験がなく不安で一杯でした。我々が出動するときは、当たり前ですが、一般のニュースになる前の状態です。
最初にどういう状態なのかを海上保安官が確認しなければなりません。まわりは陸も全く見えない海ばかりで、現場に近づくにつれ煙が見えてきた、船が炎を上げて燃えている、そういった状況を必死に写真やビデオを撮影して伝える。その時は幸い、漁船の乗組員は近くにいた仲間の船に助けられて無事でしたので、火災船が他の航行船舶に危険を及ぼさないかどうかなどの調査になったのが初出動でした。
現場に行ってみるまで分からない、普段人が見ていないところで事件事故が起こっている。海上で起こるすべての事件事故を皆が知っているわけではないのですが、そういった仕事をしているのが海上保安庁なのだ、ということを初めて体験した時でした。

今まで最も印象に残っていることは?

人の生死に関わることが、やはり辛い事も含めてたくさん印象に残っています。また、自分たちが乗っている機体もばらばらになってしまいそうな激しい乱気流の中での転覆漁船の行方不明者捜索、厳しい気象海象の中での小型漁船からの急患吊り上げ救助、竜巻や火山の噴火、大地震など、人の力が遠く及ばない自然現象への遭遇があります。
最近ですと、平成22年2月に前任地である仙台航空基地で対応したチリ地震の大津波があります。普段見慣れていた海が、津波の影響で辺り一面すべてが川のように一方方向に大きく早く流れて行き、いかだなどが壊れていくのを上空から目の当たりにしました。自然の力の大きさや怖さ、人間の無力さを感じました。
また、うれしいことで印象に残っているのは、仲間の海難救助があります。私が出産で休んでいた時、大きな貨物船が乗揚げました。休む直前まで一緒に仕事をしてきた仲間たちが、乗組員17名全員を無事に救助し、その喜びをその日のうちに、休んでいる私の元にも伝えてくれました。
厳しい条件の中、生きて全員を救助できた喜びや、また一緒に仕事をしようとみんなが伝えてくれました。そういった喜びは、まさに自分が現場にいて、自分が直接救助して、やりがいとして肌で感じ良かったと、その現場で救助に携わった人たちだけで共有するものだと思っていました。
また、海上保安庁のヘリコプターのパイロットだと、誰もが皆吊り上げ救助したいし、生きて人を助けたいと思うものだと思うのですが、その救助できたという喜びを休んでいる私をも仲間として共有してくれ、「早く戻ってまた一緒に仕事しよう」と伝えてくれたことがあったのです。それが一番印象に残っていることですし、さらに海上保安庁が好きになりました。

海上保安官をやっていてよかったと思う瞬間は?

自分一人だけではできない何かを、皆で協力してやり遂げ、やりがいを共有し肌で感じながら仕事ができると思える瞬間です。現場ならではの仲間意識の強さかと思いますが、海上保安官の場合、陸上の部署での事務的な勤務もありますが、一度は現場へ行きますので、陸上でも同じかもしれませんね。私も陸上の霞ヶ関の本庁にいた時は、自分の現場の経験を活かし、現場の人たちがうまく仕事ができるように考えながら仕事をするという後方支援的な立場も経験しました。

海上保安官の仕事で重要なこと、欠かせない事は?

相手を思いやる気持ち、ハートを忘れてはいけないと常に思っています。
海難救助の現場では、相手を思いやる気持ち、なんとしても助けたいという強い思いが私たちの原動力となっています。またこの気持ちはチームとして活動する海上保安官にも大切です。相手を思いやる気持ちがチームの心を一つにします。その仲間意識が大切だと思って仕事をしています。

実際の現場でヒヤッとしたことはありますか?

自然が相手の仕事でもあるので、気象海象の厳しいところでヒヤッとしたことはあります。副操縦士の時最初にヒヤッとしたのは、天気が非常に悪くなることが分かっている気象状況の中、灯台が故障して消えてしまい、修理のため職員をすぐに運ばなければならないという出動でした。
メンテナンスのできる海上保安官を早く派遣して修理しないと、他の船舶の航行の安全が確保できず、このことが原因で海難が起こったらさらに大変なことになる、ということで海上保安官をヘリコプターで運ぶことになったのです。
現場はものすごい乱気流でヘリコプターが落とされるような感覚でした。幸い機長の操縦で無事に着陸し機材とメンテナンスを行う海上保安官を運び込むことはできましたが、その時は、自分はヘリコプターの資格も取り立てで、機長を十分に補佐することなどとてもできていない状態でした。操縦席の計器を読むのが精一杯で、自然の怖さを初めて体感した事例でした。
機長になってからも、救助を求めている人が、悪天域を越えていかなければいけない海域にいる時に、それを越えられないと判断しなければならない時はあり、助けを求めている人がいるのに行けない歯がゆさを感じることがあります。

女性海上保安官ならではの悩みは?

実はあまりありません(笑)。幸いにも今まで、男女をほとんど意識せずに仕事をすることができました。私は現在、結婚して出産し、家族で協力して子育てしながら仕事を続けています。
海上保安庁からの配慮があってのことで、とても感謝しています。女性海上保安官共通の悩みといえば、結婚したらどうなのか、出産したらどうなのか、ということになると思います。現在まだ女性が数パーセントしかいないという環境なので、自分の経験を踏まえ、積極的に後輩達を元気付けながら解決のお手伝いをしていきたいと思っています。

海上保安大学校での想い出は?

在学中の想い出といえば、バスケットボール部で活動していたことです。女性は私一人でしたので男性と一緒に練習をしていました。中学生の時は横浜にいたのですが、関東大会を目指す強豪チームで男性と練習試合をする環境で過ごした経験がありましたので、あまり抵抗はなかったですね。
もう一つは、全寮制の生活です。毎日皆と一緒ですので、先輩後輩入り混じって自分はどうあるべきとか、社会に出てからどうしていくべきとか、若いなりにも「人生とは」などについて話すことがよくあったのです。
今思うと、まだ一人前になりきれていない学生たちが真剣に人生を語っているなんて笑えますよね(笑)。でも、人と話したり議論したりすることができる環境でした。上級生から厳しく指導されたりなどもありましたけど、それがあるから大学校を卒業してかなり年数が経ちますが、今も、大学での繋がりが濃かったからこそ、どうやって組織を運営していこうかとか、どうやって協力しながら仕事をやっていこうかということをお互いに信頼しながら話ができます。
仕事以外でも困ったことがあると、先輩、後輩と懐かしさを持ちながら相談できるということ、精神的な繋がりが深いことも大学での良い想い出といえます。
本庁にいる時も、大学校の同じ寮で生活した世代の人が集まっていたりして、深夜にも及ぶ仕事の辛い時も、お互い頑張ろうと言い合って、励ましあって、一体感の中で仕事ができました。

休日は何をして過ごしていますか?

休みには2種類あって、完全な休みと待機がかかった休みがあるんです。休日があっても、待機という休みの状態になると、事件事故など何もなくその日が終わってみればただの休日になりますが、何かあるとすぐに飛ばなくてはいけないので、気象状況も気になりますし気も抜けません。
現在、私は単身赴任中ですが、待機の休みの時は、仕事に関係する本を読んだり、調べものをしたりしていることが多いです。待機がない時は、家族のもとに帰って一緒に過ごします。家族あっての自分ですので。

海上保安官を目指す方へ一言

海上保安官以外にもたくさんの職業があり、人の役に立つ仕事もたくさんあると思います。海上保安官もこうした仕事のうちの一つで、海難救助や海上犯罪の取締りといった、直接現場でやりがいを肌で感じられる職場だと思うので、純粋に何か人の役に立ちたいとか、熱い気持ちを持っている方に是非、目指していただきたいし、「一緒に働きましょう」と言いたいです。
なお、現在海上保安庁のパイロットになるには、高等学校等を卒業後、海上保安学校学生採用試験「航空課程」、または海上保安大学校学生採用試験を受験、合格して、海上保安庁に採用されるという道があります。受験するにあたり、あらかじめ必要となる特殊な資格などはありません。
海上保安学校または、海上保安大学校で海上保安官としての教育を受けた後、希望と適性により、飛行機またはヘリコプターでパイロットとしての研修を受け、事業用操縦士の資格を取得します。資格取得後は、航空基地等において、航空機の操縦士として、海難救助、海上犯罪の取締りなどの業務に従事します。

海上保安官の魅力は?

現場で刻一刻と進行するミッションのスピード感、何か人の役に立ちたい、誰かを助けたいなど、純粋な気持ちを感じながら仕事ができるところだと思います。
また、海上保安庁は、船艇が457隻、航空機が73機あり全国展開しています。現場があって、大きな海というところで仕事ができるという魅力は、すごくあると思います。海はいろいろな国に繋がっていますし、いろいろな事が経験できる場所の一つです。
国際連携においても、例えばアジア各国にも海上保安機関がありますが、以前、同じ世代の国外の海上保安官の方とお仕事する機会がありました。国や文化の違いはありますけど、心は似たような感じがあり、心が通じあいながら仕事ができたことがありました。そういった経験もできる海上保安官の仕事は、とても楽しくやりがいがあるのではないかと思います。

今後の抱負をお聞かせ下さい

海上保安大学校を卒業後、パイロットになって今年で15年ほどになります。
今迄いろいろな現場を経験させていただきましたがこれからも、大好きな海上保安庁で仕事を続けていくために勉強していきたいと思っています。
海上保安官は、「海猿」や、漫画「トッキュー!!」などを通じて、多くの方々に身近に感じていただけるようになりました。
ただ、漫画などでの華やかな部分だけではなく、はるか洋上の厳しい環境で人知れず仕事をするような、地味な縁の下の力持ち的なところもあるし、自分達の姿を皆さんに見ていただけないというところがなかなか難しいところだとは思います。
今後もいろんな機会を通じて、皆さんに説明し、ご理解いただけるよう頑張って行きたいと思います。
聞き手 
株式会社成山堂書店
代表取締役社長 小川典子
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