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2014年7月29日  

教育現場に大切なこととは? 石橋正 氏・海洋冒険家 白石康次郎 氏

教育現場に大切なこととは? 石橋正 氏・海洋冒険家 白石康次郎 氏
約三十年の教員生活。その中で得た経験をもとに書かれたのが、本書「乾杯!海の男たち」。二十五年ぶりの再販にあたり、著者である石橋正氏にお話をお聞きした。そしてこのインタビューには、海洋冒険家としてヨットで単独無寄港世界一周し、子供に向けた教育活動を行っている白石康次郎氏も加わります。二人の接点は三崎水産高校。石橋氏が他校へ異動した年に白石氏が入学したので、先生と生徒という関係にはならなかったものの、白石氏の世界一周成功のきっかけを作ったのが石橋氏である。二人の出会い、本書のこと、教育について伺った。

書き始めてから三十年余り。教員生活の集大成として一冊にまとめた人生の記録!

――初版(平成元年)発行から二十五年が経ちました。
石橋正(以下、石橋): 昭和三十年頃に、小川實(成山堂書店会長)さんが「なにか書いてみたら」と私のところへ原稿用紙を送ってきました。それから三十年ぐらい少しずつ書いて、船長協会会報などに投稿していました。それを見た後輩たちが、「今まで書いたのをそのままにしておくのはもったいないから、本にした方がいい」と言うので、長年書き溜めていた雑文をまとめ直し、それを送って本にしてもらいました。
白石康次郎(以下、白石): 記録は大切だと思います。僕も世界一周する時に、出版社から「航海の記録を残してほしい」と言われたことがあります。船に乗っていない人には、どんなことをしているのかわかりません。まして世界一周を一人でするなんて、そうそういませんからね。

――今回、二十五年の時を経て、「乾杯! 海の男たち」の再販となりました。これをきっかけにお二人の再会となりましたが、何年ぶりですか?
石橋: ビックリしましたよ。成山堂書店の宮沢さんから話を聞いた時に、まさか自分の本がまた出せるとは想像もつきませんでした。しかも二十五年前の本が。それを白石君が読んでくれて、話を進めてくれたとは。
白石: 十年以上前にお会いした時に、先生は指を骨折していたんです。なんでも、野球をやっていて骨折したとかで。「七十歳過ぎてるのに野球で骨折する人はいないなあ」と思いながらも、昔のまま変わらずお元気だったのが嬉しかったです。
その後、最初に世界一周した時に、「白石が世界一周したのでОB会で集まろう」と計画してくれました。でも、僕がゲストで迎えられているのに、銀座駅の前に立たされて、「同窓会こちらです」という看板を持たされたんです。そしたら、石橋先生が「あ、こいつだ。世界一周したのは」と言って、僕は「あ、よろしくお願いします」と言いながら、皆さんの案内をしていました(笑)。
石橋: 彼は昔から謙虚でしたね。全然変わってない。世界一周という大きなことをやっても威張らない。それで、日本郵船・飛鳥のスタッフに、「こういう男がいるけど」と彼の話をしたら、「船で講演をしてくれませんか」と早速、頼みに行ったようです。彼の講演の評判もよくて、私も鼻高々でした。

――どんなところを読んでもらいたいですか?
石橋: この本を読み返している中で、昔のことを思い出しました。ある教育の会でこの本が話題になりましたが、何人かの教師が私の所にきて、「こういう本は初めて読んだ。でも、我々が学校で石橋先生のマネをしたら、職員室で浮いてしまいます」と言い、みんな尻込みしていました。それを聞いて、現場で生徒と真剣に向き合うのは簡単なようで、実は難しいことなんだと思いました。
白石: ご縁で、成山堂書店さんと知り合いこの本の話で盛り上がり、再販するのに「これはタイムリーだな」「これはいいチャンスだな」と思いました。
世の中は変化しています。その時に、どうすべきかを考えなくてはなりません。今、日本は高度成長期からの転換期です。本に書かれていることと同じようなことを「やれ」とは言いません。石橋先生の時とは時代が違うので、全てをマネできるわけではありませんが、その思いを感じてほしいです。今は「先生と生徒」という関係がなくなっている気がします。
石橋: そうですね。昔のように深い関わりあいが持てない感じがします。
白石: 理由は、そういう風に教わったことがないからです。勉強は学校ではなく塾でやると聞きます。親が教えないからです。「教室できちんと座って先生の言うことを聞きなさい」というのは、学校の責任ではなくて親の責任です。先生は勉強を教えることが仕事。この本は男子先生とお父さんに読んでもらって、本物の教育に触れてほしいと思います。この本は、日本の先生やお父さんたちにとって、いいバイブルになるなと思います。
石橋: 私が教師の時とは時代が違うので、読まれた方はギャップを感じるかもしれませんが、「信頼関係」ということでいえば、今も昔も変わらないと思います。

騙されてもいいから信じる。生徒と同じ目線で接して初めて、信頼関係がうまれる。

――教師時代、どういった信念をお持ちでしたか?
石橋: 生徒とよい関係をつくるためには、「騙されてもいいから信じよう」という信念を持っていました。私は、教育学のことは何も勉強しておらず、船乗りから教員に転向した者で、対生徒の諸々はすべて先輩教師から教えられたものです。ある夏の暑い日に、停学にした学生と一緒にペンキ塗りをやっていて、ひと段落したところで、「アイスクリーム買ってこい」と、がま口ごと渡しました。彼は私が、がま口ごと渡したことに「自分は信用されているんだ」と感激したようで、卒業式の時に「学生生活の中で一番嬉しかった」と言われ、ああいった些細なことが、生徒にそんなに強い印象を与えるのかと思いました。私もとても嬉しかったです。私が教えていた学校の生徒は、皆しっかりとしていました。教師が少々のミスをしても、彼らは笑って見逃してくれました。悪いことをすると校長室の前の廊下に正座させていましたが、みんな黙って座っていました。終ると笑いながら這って教室へ戻っていきました。今だと「体罰」と言われるかもしれないけど、生徒たちは反感を持ちませんでした。今でもよい学校にいたと思います。今の先生たちは、生徒から暴言を吐かれて、どうしたらいいかわからないで困っているようです。
白石: なぜそこまで生徒たちのことを信じられたのですか?
石橋:
それは、生徒だっていい面も悪い面もあります。信頼関係ができるというのは、生徒と同じ目線になるということが大事だと思っています。

――これからこの日本を支えていく子供たちに、何を一番伝えていきたいですか?
白石: 自ら考えて、自ら決断して、自ら行動すること。そして、素直でまっすぐ伸びることです。僕はヨットで世界一周する際に、「絶対にやってやる!」という熱い思いをもって高校を卒業し、石橋先生の紹介で伊豆松崎の岡村造船に居候しながら、やり続けました。でも、2回失敗しました。途中でヨットが故障して、そのまま引き返さずに行くこともできたけど、この本から学んだからこそ、「引き返す」という決断ができたと思います。その時、「ああ、駄目だ。嵐に逆らっても敵わない」と思いました。周りは変えられない。
天気を変えることはできない。運命も宿命も変えられない。でも運命に対する態度は変えられる。そこから学んだ「どう乗り越えるか」というのを子供たちに教えています。
世の中、避けられないこともあります。苦しい時、辛い時、泣きたくなる時、予期せぬ出来事、どうしようもない時もある。子供たちに、そういったことを乗り越えられるようなトレーニングをしています。
特に日本は、津波、地震、台風、そして火山。これらから逃れられません。これからもあります。その時にどう乗り越えるかということも、子供たちに教えています。行動することが大事です。

真剣に向きあったからこそ、教師としての喜びを得ることができた。

――石橋先生が今の先生たちに伝えたいことは何ですか?
石橋: 「どこまでが自分の職務か」ということを考えずに、本気になって「なんとかしよう!」と頑張ってほしい。「この辺でやめておこう、ここまでが我々の守備範囲だ」と考えずに、とことん生徒たちと向き合ってほしいと思います。私はしつこかったかもしれませんが、相談にきた生徒とは、徹底的に一緒に考えて答えを出していきました。
ある中学校で生徒が登校してくる時に、先生が、4、5人玄関に立って服装を見たり挨拶をしていますが、誰一人挨拶をせず黙って通り過ぎていきます。先生に会っても挨拶しないのはすごく不思議に思います。それは先生と生徒の間に親しみがないからでしょう。私の時代には、生徒から大きな声で「オス、オス」と挨拶をしてきました。これは笑い話ですが、女子生徒たちが、「先生、男子生徒は『オス、オス』って言うけど、私たちはなんて言ったらいいんですか?」と聞きにきたことがありました。また、お客さんがくると、「先生、この学校には応援団が多いんですね」と言われたこともありました(笑)。
白石: 石橋先生が今の状況を見ると「なんでこうなっているんだ?」と思うでしょう。みんな、無関心です。昔は嫌いな先生には知らん顔して挨拶しなかったけど、必ず先生からしつこく「おはよう」と言ってくれました。先生は根気強かったです。

――本書の中で、「自分には多くの教え子がいる。それが教師としての喜びであった」と書いてあります。それは真剣に向かい合ったからそう言えるのでしょうか?
石橋:
そうですね。考えていること、言うことはいつも同じ。裏を持ってないです。体当たりで生徒にぶつかっていったことは事実ですね。
白石: 石橋先生は「教育論は学んでない」と言いますが、逆に教育論は必要ですか?
石橋: 私はきちんとした教育論を習ったことがありません。でも、以前、教え子から「私が水産高校の先生になったのは、水産大学で石橋先生の講義を聞いたお陰です」と言われたことがあり、とても嬉しかったです。自分の経験した失敗例・成功例を話しただけなのですが。

――石橋先生は教え子の名前をよく覚えているとお聞きしました。
石橋: 街で教え子とすれ違うこともありますが、嬉しいことに、いい年をした人たちが必ず私に挨拶してくれます。決して、無視して通り過ぎることはありません。私も「あ、あいつは何年の卒業生のなんとかだ」とけっこう覚えています。特にこの辺(自宅付近)は、たくさんの卒業生がいますからね。
白石: 石橋先生の教え子は何人ぐらいいるんですか?
石橋: たくさんいて、何人だったか覚えられないね。
白石: 一〇〇〇人ぐらいはいますよ。どんな生徒だったか覚えていますか?
石橋: 戦争で自分の人生を終わらなくて、教員で終わってよかったと思っています。最初の教え子が今は七十七歳です(笑)。みんな口が悪くて。ある日、駅のホームで電車を待っていた時に、向かいのホームから大きな声で「先生、まだ生きてたのかよ」と言われてビックリしたことがありました(笑)。笑い話ですけど、そういうことが言い合える間柄なんです。

――それでは最後に、この本を通じて、どんなことを学びとってもらいたいですか?
石橋: 昔と今では教育現場の様子は大きく変わっていますが、先生と生徒との信頼関係があっ
てこその教育だと思っています。また私の一年先輩で、私をいろいろな場面で指導して下さった坂野校長先生(故人)の言葉を忘れることはできません。
 「教育とは、騙されて、騙されて、騙されることだ」。これが先生の信念でしたが、最初私は、納得できませんでした。しかし何回かのつまづきの後ようやく「生徒を疑うことなかれ」の心境に達しました。
白石: この本に書かれているような先生の影響力や胆力を、学生よりも若い先生に感じて読んでもらいたい。そして、それを読んだ先生が担任しているクラスの生徒たちに、なにかしらのいい影響が波及していって欲しい。そうやって信頼関係が生まれ、嵐があっても悠然と乗り越えていける先生が増えれば、僕も嬉しいですね。

このインタビューはこちらの本に収録されています。
乾杯! 海の男たち-よき師、よき教え子に囲まれて-

著者紹介【石橋 正】

●いしばし ただし●
1926年 東京下町で生まれる。
1946年 水産講習所(現・東京海洋大学)遠洋漁業科卒業、農林省(現・農林水産省)水産試験場助手、水産大学(現・東京海洋大学)練習船航海士を経て水産庁調査船・神奈川県練習船船長。
1967年 八戸水産高校教頭
1971年 三崎水産高等学校(現・神奈川県立海洋科学高等学校)教頭
1976年同校校長、東京水産大学講師(船員教育航行安全審議会専門委員、海技試験管理委員会委員、文部省教科調査委員)
1982年 港南台高校校長
1986年 神奈川県警察本部教育参与
1988 年 一切の公職を退く。

著者紹介【白石 康次郎】

●しらいし こうじろう●
少年時代に船で海を渡るという夢を抱き、単独世界一周ヨットレースで優勝した故・多田雄幸氏に弟子入り。1994年、当時26歳でヨットによる単独無寄港無補給世界一周の史上最年少記録(当時)を樹立。
2006年、念願の単独世界一周ヨットレース「ファイブ・オーシャンズ」クラスⅠ(60フィート)に参戦し、歴史的快挙となる2 位でゴール。2008 年、フランスの双胴船「Gitana13」にクルーとして乗船し、サンフランシスコ~横浜間の世界最速横断記録を更新した。現在、最も過酷な単独世界一周ヨットレース「ヴァンデ・グローヴ」への出場を目指している。ヨットレーサーとしての活動以外にも、子供達と海や森で自然を学習する体験プログラム「リビエラ海洋塾」の開催や、「小学生のための世界自然遺産プロジェクト」のプロジェクトリーダーなど、子供達に自然の尊さと「夢」の大切さを伝える活動に積極的に参加している。筑波大学非常勤講師。
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